1981年第5回高知競馬3日目
高知競馬
2003年12月21日 第3回全日本アラブ2歳優駿
あまり触らなかった箱から第3回全日本2歳アラブ優駿の結果を発掘上山は既に廃止になっていましたがブルーコマサは上山所属で出走連勝中トライバルジャガーは競走中に骨折荒尾の無敗馬ケイウンリーダーは出走辞退クロイチョキンバコは…言わずもがな全賭式の...
ディアマルコが淀の砂上を駆けた日
ディアマルコについて改めて多くを語らなければならないほど無名な馬だとは思わないし、このブログを読んでくださる方にとって既知のことしか私は書きようがないのでその点を割愛する。 JBCは地方競馬のダートの祭典として2001年より施行されて...
1981年 高知競馬を舞台に起きた大規模八百長事件の経過
以前更新していた1981年の高知競馬出走表の記事。 同年6月に判明した八百長事件によって当時の所属騎手18名中7名が騎手免許をはく奪されたことにより騎手が不足し、当時1日6鞍の騎乗制限があった高知ではフルゲート8頭でも11名で...
1981年第5回高知競馬6日目
福山からの応援騎乗の最終日。 この日の記事を書くにあたって、思ってもみなかった「香川県産馬」の存在を確認したため、他の開催日のものより特記事項が長くなってしまった。 調査を進めていると福山以外の様々な埋もれてしまっていた物事に遭遇し...
1981年第5回高知競馬5日目
この日はアラブ優駿にあたる長尾鶏賞が行われ、福山から応援騎乗の荻田騎手が1着。 NAR上に忽然と表れる荻田騎手の名に、「なぜ高知のレースに荻田騎手が?」と常々疑問に思っていたのが発端になった今回の調査。 もちろんその経緯を知ることが...
1981年第5回高知競馬4日目
この開催から福山からの騎手が入れ替わりで、荻田恭正騎手と渡辺騎手が参戦。 この当時の福山には渡辺騎手が2名いて、苗字だけでは渡邊貞夫騎手か渡辺勝行騎手のどちらかの判別ができない。 桒田騎手が「くわ田」と表記されていたことから正確...
1951年の岡山競馬
1951年の秋の岡山競馬では「中国地方初」の繋駕速歩競走が実施されたとのことで、その10月7日からの岡山市営開催と、10月21日からの岡山県営開催の結果より情報をまとめた。 確認できている出場騎手 西崎 槌田 岡...
1981年第5回高知競馬3日目
重賞があったわけでもないヒラの開催日。 この3日目で福山からの遠征騎手である田代専二・桒田晃・黒川幹生騎手が高知での騎乗を終えるので、この3日間の成績を記事下部にまとめる。 福山競馬の騎手一覧を見る 1981年第5回高知競...
1981年第5回高知競馬2日目
アラブ系古馬による重賞・やまもも特別が施行された日。 そのレースに出走するタマムソウは前年の阪神競馬場で施行されたタマツバキ記念の優勝馬。 福山に中央のアラブ重賞を制した馬が転入した例が思い浮かばないが、出走した経歴の馬であれば何頭かい...
1981年第5回高知競馬1日目
桟橋競馬時代の、ネット上には載っていない出走表。 当時の高知競馬は騎手の1日の騎乗制限が6鞍。 この開催から在籍する騎手の数が11名となり、10レース編成でフルゲート8頭の高知競馬場では最大で延べ80名の騎手が必要となるが、11名で...