福山からの応援騎乗の最終日。
この日の記事を書くにあたって、思ってもみなかった「香川県産馬」の存在を確認したため、他の開催日のものより特記事項が長くなってしまった。
調査を進めていると福山以外の様々な埋もれてしまっていた物事に遭遇して、そういったものは福山であろうとなかろうと日の目を見るようにしていきたい。
1981年第5回高知競馬1日目
1981年第5回高知競馬2日目
1981年第5回高知競馬3日目
1981年第5回高知競馬4日目
1981年第5回高知競馬5日目
1981年9月7日(月) 高知競馬出走表
1レース サラ系3歳 800m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | フアリンメイト | 54 | 打越 |
2 | トサパールクイン | 54 | 大内 |
3 | フライテント | 54 | 飯島 |
4 | トウシヨウガビー | 54 | 宗石 |
5 | ナポリ | 54 | 大関 |
6 | ニシノアイドル | 54 | 坂本 |
7 | デイバイクイン | 54 | 松木 |
8 | ニシケンミドリ | 53 | △別府 |
単勝2番 1210円
複勝 特払い70円
連複2-3 2690円
特記事項
1981年度初のサラブレッドの新馬戦。
アラブ最初の新馬戦ではタイヨウアズマが勝って年内5戦5勝、年末のジュニアシルバー賞を制した。
一方のサラ最初の新馬戦はトサパールクインが勝って年内5戦5勝、年末のジュニアゴールデン賞を制するという、品種が違えど同じ道を辿る。
しかしトサパールクインは翌年は大失速し82年以降はレースに出走していない。
タイヨウアズマが生え抜きとして長く活躍したのとは対照的に太く短い競走馬生だった。
ニシケンミドリはトサパールクインが勝ったジュニアゴールデン賞の3着馬で、翌年のやいろ鳥賞では2着。
ニシノアイドルは競走実績に特筆すべき点はないが、同名馬が同年の中央競馬に登録されており、更に1走だけだがレースにも出走している。
2頭のニシノアイドルは同じ1979年生まれで、中央でデビューしたニシノアイドルはニシノアイドルⅡの繁殖名として、高知でデビューのニシノアイドルはそのままニシノアイドルの名で繁殖馬となった。
どういう事情があったのかが判らないが、中央と地方でバラバラだったことで同名の馬が同年にデビューしてしまったと考えるのが妥当か。
ちなみにばんえいについては仮に中央や他地方で同名の馬が既に存在していたとしても、その馬名を名付けることができる模様。
2レース サラ系C 1200m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ウインエンジエル | 54 | 金田 |
2 | アゲンオー | 56 | 大関 |
3 | ミスメイクイーン | 54 | 松木 |
4 | シヤイニングホープ | 55 | 打越 |
5 | サンワテンリユウ | 55 | 大内 |
6 | イチフソウ | 56 | 荒木 |
7 | タンシングレオ | 56 | 野田 |
8 | レツドチエツカー | 55 | 三小田 |
単勝3番 190円
複勝3番 130円 2番 180円 8番 180円
連複2-3 420円
3レース サラ系C 1200m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ハイフラー | 55 | 金田 |
2 | ニツソウバルダス | 55 | 坂本 |
3 | フイルオーザー | 55 | 大内 |
4 | リツチマン | 55 | 荒木 |
5 | クインチーター | 55 | 竹内 |
6 | キクノテイオー | 55 | 細川 |
7 | アータルナイト | 55 | 三小田 |
8 | ワールドハツユキ | 55 | 渡辺 |
単勝7番 470円
複勝7番 160円 6番 130円 1番 320円
連複6-7 1380円
特記事項
アータルナイトは1976年のデイリー杯3歳ステークスの勝ち馬で、中央で重賞1着1回3着2回の好実績。
4レース サラ系C 1200m
単勝8番 160円
複勝8番 130円 7番 270円 3番 100円
連複7-8 2070円
特記事項
ベルは1977年の小倉記念勝ち馬で、重賞1着1回2着1回3着1回の好実績。
5レース アラ系C 1200m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | デイマンチカラ | 56 | 宗石 |
2 | クインセクシヨン | 54 | 竹内 |
3 | フタバスター | 55 | 荒木 |
4 | シマバラツケー | 55 | 大内 |
5 | シヤツキヨウ | 55 | 飯島 |
6 | アケサト | 55 | 坂本 |
7 | イチアサフジ | 56 | 細川 |
8 | エースカーデイナル | 56 | 荻田 |
単勝1番 240円
複勝1番 100円 5番 100円 4番 120円
連複1-5 380円
6レース アラ系C 1200m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | サツマニツコー | 55 | 大関 |
2 | カミノトウシヨウー | 55 | 野田 |
3 | バサレツト | 56 | 土居 |
4 | サクセンミヨ | 55 | 大内 |
5 | キタノシヨウクイン | 55 | 曽我 |
6 | ヒカルシンメイ | 56 | 打越 |
7 | オカフエル | 55 | 竹内 |
8 | カイキヨウシゲル | 56 | 荻田 |
単勝8番 320円
複勝8番 280円 2番 490円
連複2-8 3090円
7レース サラ系C 1600m
単勝4番 310円
複勝4番 110円 1番 410円 8番 240円
連複1-4 2850円
特記事項
アオイテツトはこの年のやいろ鳥賞馬(ダービー馬)で、ダービー馬になって初のレース。
C級としか条件が判らないが、距離が1600mなのでC級でも上位のクラスであると推測。
8レース サラ系C 1600m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ノトカオリ | 55 | 細川 |
2 | ノースガンボウ | 56 | 荒木 |
3 | サカエウンリユウ | 55 | 打越 |
4 | マーチマサツル | 56 | 渡辺 |
5 | ハルノブツセン | 56 | 坂本 |
6 | クニミノル | 56 | 谷 |
7 | ゴールドクイツクス | 56 | 大内 |
8 | ワホーイスズ | 55 | 松木 |
単勝1番 260円
複勝1番 140円 3番 130円 6番 130円
連複1-3 1040円
特記事項
ハルノブツセンは競走除外。
ノトカオリはおそらく高知以外の地方競馬でデビューし、79年に中央に移籍し4戦して地方に戻る。
高知で長く活躍し、条件重賞と思しき「龍馬特別」を制している。
引退後は繁殖馬になったのだが、その繋用地は香川県観音寺と通常は競走馬の生産が行われない地で繁殖馬となった。
初仔のライモンド(おそらく上記のタイヨウバージのページの3枚目の仔馬)は2戦して勝ち馬から7.2、8.0秒離された大差のシンガリ負け。
2番仔のヨシノエンゼルは1戦して勝ち馬から3秒離されるも5着入着を果たしている。
またトウシヨウハイネスは種牡馬登録はされているのに産駒のデータがなく、しかし上記の記事にはトウシヨウハイネスの仔と紹介されている写真があることから産まれた仔はいるようだったので探してみた。
結果、写真に写っている仔馬に該当するかは不明だが、88年のジヨーサンクル産駒が父トウシヨウハイネスとなっていることを発見。
何らかの理由で登録上は産駒なしになっているが、ニシケンホーマーの1990年産駒の父もトウシヨウハイネスなので、産駒が競走馬デビューしていないだけで種付けは複数年に渡って行われていたようだ。
そしてこの香川の三好牧場で生産された馬の中には勝ち星を挙げている馬も何頭かいることを確認。
ロイヤルキツス
テイラツクス
スカイハイ
ニシトミバージ
タイヨウタマナ
生産は1990年までが確認できたが1990年生まれの馬がデビューした様子がないので、この年を最後に撤退したのかもしれない。
更に興味深いのは、三好牧場でコスモキングが種付けした記録が残っていること。
86年だけしか確認できないが、福山で活躍したコスモキングが香川で繁殖入りしていたのかもしれないという発見に驚きを隠すことができない。
なお上述の記事には
昭和60年代にはこの三好牧場の3頭だけが四国で種牡馬として種付けを行っていた。
とあるが、昭和60年代には高知産の競走馬が少数ながら存在する。
その父がスリーバーグとヤマノペガサスばかりで、更にスリーバーグに関しては競走馬としての最終登録地が高知なので、繁用地も高知であった可能性が高い。
9レース サラ系A 1700m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | イセアサマ | 56 | 三小田 |
2 | フクタイム | 55 | 竹内 |
3 | キーチヤリー | 55 | 細川 |
4 | キクノシルバー | 56 | 宗石 |
5 | ハレルヤスター | 55 | 松木 |
6 | メイシヨウペガサス | 56 | 渡辺 |
7 | ケーテイフアイブ | 56 | 大関 |
8 | ニユーカドマス | 55 | 打越 |
単勝8番 440円
複勝8番 320円 2番 480円 3番 290円
連複2-8 490円
特記事項
前日に続きサラ系Aのレースだが、同じAでもこちらの方が格は下であると思われる。
79年の上山競馬・3歳優駿を制した後に中央へ移籍。
そして中央から高知にやってきたイセアサマ。
76年に中央で毎日杯3着の実績のキーチヤリー。
前年の足摺特別で2着のニユーカドマス。
やはり前日に比べると格が見劣る。
10レース アラ系B 1600m
単勝1番 270円
複勝1番 100円 2番 130円 4番 100円
連複1-2 460円
福山からの遠征騎手の成績
荻田恭正
12戦3勝2着1回
渡辺(勝行?)
12戦0勝2着1回
この後の高知競馬
この開催をもって福山からの応援騎乗は終了。
入れ替わるように名古屋から追加で2名が次開催より参戦。
福山の騎手を目当てにした調査なので、この後の開催については出走表を控えていない。
ただし出走表を確認はしていて、名古屋からの追加の2名は松根伸一騎手と宮路洋一騎手。
宮路騎手は後に高知競馬に所属となっているが、おそらくこの応援騎乗がそのきっかけだったのだろう。
この81年度の開催では、今回の荻田恭正騎手による重賞制覇の他に、愛知の望月高司騎手が桂浜特別(後の桂浜月桂冠賞)を制しており、少なくとも年度一杯は応援騎乗が続いた様子。
昔の高知競馬については高知新聞に詳しく情報が載っているので、たとえばヤシマナシヨナルが高知で出走したレースについて調べる時には高知新聞をあたってみると良いかもしれない(ヤシマナシヨナルの時代に出走表が載っているかは未確認)。
コメント
スリーバーグは引退後、地元で乗馬クラブを営んでいた(?)
森国龍昇さんという方に引き取られ、そこで自家用の種馬を
やっていたようです。また、これは未確認ですが……中央で重賞を
2勝したグレートモンテも、高知で引退したあと地元で繁殖生活を
始めたとか始めないとか。
グレートモンテも種牡馬登録されていますね
ただ産駒がデビューした記録は無いので詳細を追うのは難しそうですが・・・。