1960年の金沢競馬

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この時代の金沢競馬は福山競馬が夏の休催中の遠征先の一つとして頻繁に遠征している。
金沢への遠征は岡山競馬出身者が主となっている印象で、東森實と福島寿が昭和35年前後に金沢の重賞競走で優勝していることが伺える。
1958年の岡山競馬で、岡山競馬廃止後すぐブゼンハヤカゼが金沢で大暴れしたことを記事にしたが、この1960年は中央時代に大阪杯を優勝しているホマレイチに東森実が騎乗し、複数の重賞を制している。
その優勝した重賞のうち、8月7日の農林水産大臣賞典では72kgを背負って1800mを2.05.0で優勝。
ホマレイチは福山でも大暴れしていたようだが情報が少なく、金沢でどのように取り上げられているかの調査を行った。
成果としては単勝470円とハンデを嫌ってか本命ではなかった様子が伺えたのみであったが、少ないながらも同時に得られた情報をまとめて公開する。
1960年8月7~9日の北國新聞から調査。
成績のみ掲載で競馬当日の出走表は掲載無し。
成績は3着までの馬名及びレース距離、勝ち馬のタイム、払戻金を掲載しているが、騎手名は掲載されていない。
また、各日の入場者数概算と売上、その日の概況が簡単に記されている。
もし騎手名が表記されていれば、誰が遠征していたかの手掛かりになったのだが。
今後はブゼンハヤカゼの調査を行うつもりでいるので、その時代にはもう少し手掛かりとなる情報があれば幸い。

出走馬

イケヅキゴールドライトトミニシキホワイトリリー
イチリサチタカトルースカツプマツサカエ
ウメヒカリサチノヤイニユーカツリユウマルイチ
エビスヒメサチムサシニユータケマツマルチカラ
オーキツトサツキニユーハヤブサマルヒロ
オーセントサンフアストハイライトミスオルゴール
オノミハルシゲニシキハツエベスミスダイヤモンド
カーレントクインシマヒノデハツクインミスタビト
カクリヨウシントミハツピーフジミスホウセント
カツロクスピーハナザクラミツギフジ
キイデンコータイシンハヤチカラミヨシライト
キヨスターダイニヒロカゼハヤトミミントリ
キンカイヒメダイニミネノハナハヤナミモニクモハヤ
グツトマンタカラクニヒラリーヤマトオー
クモチドリタマノハナフアストゼアヤマトヒメ
クモフジチクロメリーフアルケヨシトミ
クラフトツキフジブイスホルンラリー
グランドスピーヤーツタニシキプーケローレンジヤー
クリハタトキノオープンフジハタワカタカ
クリヒロトキノペリオンフジマルワンマントル
ケイコートキノリードフジライト
コートクトクヒバリホウギク
ゴールドブリンナートシホマレホマレイチ

ホマレイチとフジハタ以外のリンク先は正しいとは限らない。
サチタカの産駒に1969年に荒尾で出走しているミスサチトミがいる。※記事は現在作成中
ハイライトは同名馬が同年同日の札幌競馬場で2着。
ハヤチカラの母はJBISではインタフオードとなっているが、JBISにあるハヤチカラの母は実際にはモナリザではないか。
netkeibaでもハヤチカラを確認できるが、母インタフオードのハヤチカラは牡馬であり、その牡馬のハヤチカラと同じ成績を引用されているJBIS上のハヤチカラは牝馬となっている。
競走成績まで確認ができるnetkeibaの方が正確であろう。

ホマレイチは後年になって同名馬が東森優厩舎に所属。
意識してものかは不明。

施行距離

8001020126016001800

最も使用されている距離は1260m、次点で1020m。
昔の地方競馬は格が上がるにつれて距離が延びる傾向があるので、1020mは最下級に近いクラスで主に使用されているのではないか。
実際に1020mが行われるレースの番号は前半ばかりであった。
1260mは最速1.26.7、最遅1.32.2で、かなり幅広いクラスで使用されていたのかもしれない。
1800mは調査対象期間のうち2回使用され、農林大臣賞典と輪島市長賞の格式が高い競走で用いられていた。
農林大臣賞典で72kgを背負ったホマレイチが2.05.0、条件等一切不明の輪島市長賞を勝ったシゲニシキが2.08.2であった。

発売成績

8月6日(4日目) 入場者数約4000人 売上8,892,500円(1レース取り止め計11レース)
8月7日(5日目) 入場者数約5000人 売上9,909,300円(1レース取り止め計11レース)
8月8日(最終日) 入場者数約4000人 売上9,178,100円(2レース取り止め計10レース)
6日間計 57,412,400円

調査対象期間中、複勝3着払いは2回(他に2着同着による3通りの的中が1回)と、計32レース中8頭立て以上の競走は2回しかなかったことが伺える。
また複勝の発売がないレースが1回(的中連単の組み合わせから4頭立て)、理由は不明も毎日最初のレースが取り止めと、1日の出走頭数は多く見積もって平均で70頭ほどで実施していた様子。
3日間で見受けられる馬名から連日出走した馬はいなかったが、4日目と最終日に重複していた馬は多数いたため、連日の出走も認められていたのではないか。

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