前回の吉村孝志騎手の初勝利に続き、今回は同じく兵庫県でデビューし、後に福山に移籍した外山清彦騎手の初勝利レースの調査の結果。
吉村騎手はNARにデータが残っているが、外山騎手は調教師のデータはあっても騎手のデータは非公開とされている。
そのため調査が難しかったのだが、別のルートから初勝利日が1972年4月21日であることが判明したので調査が可能になり、今回の盆の調査でその全貌が明らかになった。
生年月日が1955年10月2日なので初勝利時にはまだ16歳ということになるが、70年代にはさすがに15歳で騎手デビューはできなくなっていたと思われる。
ということは、この初勝利はデビューからそれほど間が空いていないだろうと思い初勝利以前の競走について調べてみたがどこにも外山騎手の名は見当たらない。
ちょうどこの日が開催初日でもあり、であればデビュー日がこの日である可能性が高く、もしそうならば初騎乗初勝利ということになる。
しかし確信に至らしめるにはもう少し調査が必要。
外山騎手は上の画像にもあるように姫路競馬所属で、デビューは園田競馬場。
福山に移籍後、引退の直前にナタリージョージで鞆の浦賞を制して重賞初勝利。
重賞勝利はこの1勝だけだったが、移籍前の新人時代には園田や姫路で重賞で入着が何度かあった。
判っているのは1974年の六甲盃でバルビー騎乗で4着、1975年のフクパーク記念でシゲマルト騎乗で4着だが、他にもあるかもしれない。
1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 合計 | 勝率 | 連対率 | 3連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
227 | 305 | 283 | 2250 | 3065 | 7.41% | 17.36% | 26.59% |
今回は初勝利レースとなった1972年4月21日園田競馬1日目の全レースとともに、外山騎手の初勝利レースを紹介する。
1972年4月21日(金) 園田競馬出走表
1レース 四歳 1300m
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | ミハラヤマ | 1.29.0 |
2 | タカラカゼ | 3/4 |
3 | ユキワカ | 1/2 |
連複2-3 520円
特記事項
ミハラヤマの6番仔に1986年の全日本アラブクインカップで1番人気4着のミスオサフネ。
2レース 四歳 1300m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | タカスヒメ | 52 | 池辺 |
2 | ミナトリリー | 53 | 山元 |
3 | ワールドヒカリ | 54 | 薮田 |
4 | ヨシノリオー | 54 | 謝 |
5 | トキノニユース | 54 | 佐藤 |
6 | ヘビーホース | 53 | 中野 |
7 | ダイニヒデユウ | 54 | 陳 |
8 | ブルーヒカリ | 54 | 当間 |
8 | ナイスローズ | 53 | 中塚 |
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | トキノニユース | 1.29.7 |
2 | ナイスローズ | 1 |
3 | ヘビーホース | 1/2 |
連複5-8 1310円
3レース 四歳 1300m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | アライタロー | 52 | 松浦 |
2 | ミスハンシン | 53 | 謝 |
3 | ミスコガネ | 52 | 池辺 |
4 | マンリスピリツト | 53 | 陳 |
5 | アルフアロメオ | 53 | 岡田 |
6 | イーストフジ | 53 | 花村 |
7 | ミスターアキラ | 54 | 佐藤 |
8 | プリンスイズミ | 54 | 上松瀬 |
8 | マルワイナゴヤ | 54 | 井上 |
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | マルワイナゴヤ | 1.30.4 |
2 | ミスターアキラ | 鼻 |
3 | プリンスイズミ | 2 1/2 |
連複7-8 350円
特記事項
アルフアロメオから繋がる系統は活躍馬が多数。
直仔ではハクリユウオーがブルーバードカップ2着、スマノゴゼンがのじぎく賞3着、タカノアステイーがフクパーク記念3着。
また未出走の直仔ハートロメオからは市川賞3着のラツキロメオ、兵庫大賞典などを制したスマノアスカ、上述のスマノゴゼンからは金杯(水沢)3着のキタノフレーム、金蹄賞2着のフレッシュボーイ、銀杯(福山)3着のフジナミタカラと重賞好走歴のある馬が多いのだが、勝ちきれない馬が目立つ。
アルフアロメオの母はオペレツタで、この牝系はアラブ最後の怪物と称されるバクシンオーまで繋がっている。
4レース 四歳以上(20万下) 1300m
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | リーゼントパーク | 1.29.8 |
2 | ヨシライト | 1 |
3 | ビツクヒーロー | 2 |
連複1-4 800円
5レース 四歳以上(30万下) 1300m
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | ヒロシエース | 1.29.6 |
2 | トキノタカヒメ | 2 |
3 | エミホマレ | 1 |
連複3-7 750円
特記事項
クインハヤトモの産駒ミヤノオーカンは82戦8勝と勝ち数は少ないが、2着は28回と1着の3倍を超える回数。
重賞でも2着は4度ある。
トキノタカヒメの産駒は1頭だけが競走馬としてデビュー。
その1頭がヤシロテンリユウ。
東北アラブチャンピオンを優勝。
6レース 四歳以上(200万下) 1630m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | テツノツバサ | 56 | 斉藤 |
2 | クリシユーホー | 56 | 渡辺 |
3 | ヒナエース | 54 | 謝 |
4 | エルシドカツプ | 53 | 花村 |
5 | グランドジヨン | 54 | 上松瀬 |
6 | モンテムサシ | 54 | 山元 |
7 | トキノミヨウホウ | 54 | 薮田 |
8 | ミヤマスミレ | 54 | 手嶋 |
8 | ニツポンオー | 56 | 佐藤 |
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | モンテムサシ | 1.51.9 |
2 | トキノミヨウホウ | 1 1/2 |
3 | グランドジヨン | 1/2 |
連複6-7 5970円
特記事項
テツノツバサは種牡馬になったのだが、特に競走馬時代に活躍した形跡は見られない。
姉のスパークシヨンからそこそこの活躍馬が産まれたこと、母がサラ系という血統の裏付けから種牡馬となったのかもしれない。
少ない産駒で大活躍した馬はいないが、賞金はそこそこ稼げている産駒が目立つ。
エルシドカツプからは活躍馬が多数。
直仔では市川賞を制したロツクツバメ、紫桐杯2着のロツクイーグル。
枝葉は広がり、オグリセブン、ミスターリユウオー、ヤマノプリンセス、ヤマノユーノス、カイヨウワールド、ゴールドヒリュウ、ウイングストーン、イーグルホープ、インディシュートとアラブ最末期までその血は繋がっていた。
7レース 四歳以上(200万下) 1630m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | タイセイオーナミ | 56 | 謝 |
2 | ホートク | 54 | 当間 |
3 | ニユーハママサ | 56 | 薮田 |
4 | ダイイチヒヨウゴ | 54 | 佐藤 |
5 | トシライト | 54 | 井上 |
6 | トモスマンナ | 56 | 陳 |
7 | スイテンオー | 56 | 中野 |
7 | モーレツリユウ | 54 | 上松瀬 |
8 | ツバサパーク | 54 | 石川 |
8 | ハツピーフアイター | 56 | 手嶋 |
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | タイセイオーナミ | 1.50.2 |
2 | ニユーハママサ | 2 1/2 |
3 | トモスマンナ | 2 |
連複1-3 2640円
特記事項
モーレツリユウの産駒カールスクロナから銀杯(福山)3着のマルトヨダイドウ、ラツキーサムからアラブ3才チャンピオン(高崎)2着のダイナスティと母母として活躍馬を輩出。
8レース アラブ特別 四歳以上(200万下) 1630m
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | ヒデノブオー | 1.50.9 |
2 | ユウセイホープ | 鼻 |
3 | シユンラクオー | 1/2 |
連複1-4 1410円
9レース アラブ特別 四歳以上(200万下) 1630m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ホウスウミツ | 56 | 稲田礎 |
2 | イワミカツプ | 53 | 上松瀬 |
3 | ハチクオーザ | 54 | 石川 |
4 | オーギキヤツプ | 56 | 渡辺 |
5 | ヒダカホウオン | 54 | 当間 |
6 | ダイニシンザン | 54 | 手嶋 |
7 | バーデイラツシユウ | 53 | 山元 |
8 | アシヤオーザ | 54 | 岡田 |
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | ホウスウミツ | 1.50.5 |
2 | オーギキヤツプ | 頭 |
3 | ヒダカホウオン | 1 |
連複1-4 6470円
特記事項
イワミカツプは中央と南関東で計8勝のプールモアの母母で、プールモアはセイフクガバナーと荒尾記念勝ち馬ニシケンシーザーの母。
ヒダカホウオンは3代母としてエルデンライデンを輩出。
アシヤオーザは産駒にブルーバードカップを制し、福山に移籍後には金杯でマグニカチドキの2着になったサンリキユウがいる。
10レース 四歳以上(30万下) 1300m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ダイコクリユウ | 54 | 外山 |
2 | ハマノマルマサオ | 54 | 渡辺 |
3 | クインラツキー | 51 | 稲田彰 |
4 | タイガーアロー | 54 | 当間 |
5 | ヤマサンチカラ | 54 | 井上 |
6 | ハリマプリンス | 54 | 山崎 |
7 | ヤングアーリー | 54 | 石川 |
8 | タカシヨウクイン | 53 | 花村 |
8 | トモタケ | 53 | 池辺 |
着順 | 馬名 | 着差 |
---|---|---|
1 | ダイコクリユウ | 1.28.8 |
2 | ヤマサンチカラ | 1 |
3 | ハマノマルマサオ | 1/2 |
連複1-5 1210円
特記事項
これが外山騎手の初勝利。
この時代に減量特典があったのか不明だが、池辺騎手は常に定量より少し軽い斤量で騎乗しているのに対して外山騎手は定量。
かといって年齢を考えるとこれ以前に騎乗していたとは考えにくく、更に減量特典がないのなら初勝利はこのレースではないことになる。
しかし初勝利はこの日ということは間違いなく、もし減量特典があったのだとしてもそれを返上していたのではないだろうか。
開催成績
総売上 307,035,400円
入場者 16,962人
詳細不明な騎手
この時代になると大半の騎手の調べはつくが、陳騎手と池辺騎手の2名に該当する騎手の記録が残っておらず不明。
池辺騎手は1975年にも騎乗歴があり、73年以降の記録は確実に残っているはずなのに見当たらないということで改姓したのではないか。
陳騎手は改姓の可能性に加え、間もなく引退(稲田彰騎手の騎手記録もないため)したのではないかと推測。
もし詳細をご存知の方はぜひご教示をお願いします。
池辺騎手は正式には池邊と書き、池邊松根騎手と判明。
1970年10月23日に初騎乗、通算3334鞍騎乗し253勝。
コメント
バルビーは姫山菊花賞でも2着に入っていますので、外山騎手の兵庫所属時における代表騎乗馬と言っていいと思います。