この年の7月で廃止となる岡山三蟠競馬場。
1958年7月で廃止というのはネット上の岡山競馬の情報を掲載している大半のウェブサイトで明記されている。
その情報を基に当時の山陽新聞を隈なく探したが、競馬の開催成績や廃止に関する記事が一切掲載されていなかった。
では、それ以前の最後の記事は何だろうと思い、同年の6月、5月と遡って調査したのが今回の記事である。
結論を先に述べると、1958年6月3日の山陽新聞岡山県内版に、県議会農林委員会にて当時の農林部長が開催を取りやめる説明をした、という記事が競馬場が存続していた時の最後の記事で、それ以降は開催告知の広告、競馬成績を含め紙面に取り上げられていなかった。
1958年7月の廃止は、「7月の開催をもって廃止」ではなく、「開催権の喪失が7月」であり、競馬の開催自体は5月で終了している可能性がある。
これについては「地方競馬史」で得られる開催成績と、新聞の情報を突き合わせていくことで明らかとなる。
昭和33年度の岡山競馬の開催が2回12日、詳細は後述するが5月中に12日間開催があったため、5月の開催をもって競馬が終了したとして間違いない。
ちなみに最終日とその前日については、どこにもその成績が載っていなかった。
紙面の都合上、競輪・競艇と開催が競合する時はそちらが優先される節があり、ちょうどそのタイミングでの開催だったためであろう。
その後同年7月の定例議会にて、議案第六十四号八「岡山県営競馬場設置並びに使用条例等を廃止する条例」を可決。
これで7月で廃止という裏付けが取れたわけだが、その議事録を見ても特に意見はなく可決されたようだ。
それにしてもあっさりと廃止になっている様子で、近年の状況との違いに戸惑いを感じる。
まだ各地を転戦していた時代、一つ競馬場が無くなっても大きな痛手はなかったということかもしれない。
確認できている出場騎手
岡本 | 藤井 | 西岡 | 千同 | 福島 |
浜田 | 東森喜 | 成松 | 水口 | 西岡忠 |
末広 | 楠見 | 東森實 | 高畦 | 安部岩 |
湯浅 | 近藤 | 石本 | 那俄性 | 鎌本 |
寺田 | 西崎 | 上原俊 | 上原斎 | 藤原 |
桧山 | 盛 | (釜本) | (玉本) | 安部稔 |
那俄性一 | 東森 |
釜本、玉本はどちらも鎌本の可能性が高い。
安部稔は阿部実と記載されていたが、他に阿部姓が見つからないこと、同音の安部稔の存在を把握していることから、こちらだと推測。
東森とだけ記載されたものがあり、東森實か東森喜のどちらか不明。
出走馬
アズマオー | キングロツテ | スワロー | テフレ | ヒカリオー |
アヤフク | グツトロード | セントトツプ | テルツキ | ヒサオー |
アレキサンダー | クニタマオー | セントヤード | テンユウ | ヒツト |
イサオー | クラフク | ダイイチマンセイ | トキノチグサ | フイガロ |
イツクシマ | クラホマレ | ダイイチマンライ | トシホマレ | フクシゲ |
イブキヤマ | グランドオー | ダイナナムーン | トモホマレ | フクハナ |
ウメタエ | クンリユウ | ダイニアトム | トヨトミ | フジチドリ |
エルデス | コンコー | ダイニフクハマ | トヨヘヤー | フジノマンボウ |
オールカツ | コンリユウ | ダイニマツ | トリゴエ | ブゼンハヤカゼ |
オキタヒメ | サーチライト | タイニユース | ナンブニシキ | ホマレ |
カジハタ | サカヤヒメ | タエヒメ | ニユーフローラー | マサトシ |
カチゴマ | サザナミ | タエヤマヒメ | ノボルアサヒ | マサハタ |
カツホウ | シノノメ | タカサゴ | ハクスイ | マツヒカリ |
カツミネ | シマノフジ | タカヤヒメ | ハツピーキング | マツヒノデ |
カツリユウ | シヨウワヒカリ | タカワキ | ハナエイジ | マンセイ |
カトラス | シヨンカイ | ダテフジ | ハナフジ | ミサイル |
カブトリユウ | シンセカイ | タビハタ | バロン | ミスグレード |
カメヤマ | スイバク | タマキヨ | ヒージークイン | ミスターオンワード |
キリンオー | スズヒカリ | チハヤ | ヒービー | ラツキーワン |
キングヒーロー | スピードクイン | ツガル | ヤマゼン | ランオー |
ミスダイマル | ワカシオ | ツルホマレ | ヤマトヨ | リユウホクプウ |
ミスハナカゼ | ミツカツ | ムレチドリ | ユウゲツ | ルイス |
ミスヒカリ | ユキヒロ | ユウテン | ワイズホーク |
この中ではブゼンハヤカゼが圧倒的な実績馬。
レース条件不詳ながらメインレースと思しきレースでの優勝が目立っており、岡山競馬廃止後には旧金沢競馬で、1958年6月15日の百万石賞、8月3日のMRO金賞、8月17日のオープン競走、10月20日の市制五周年記念を優勝(鞍上は全て東森實)、11月3日の農林大臣賞典2着、10月5日の農林大臣賞典3着と金沢で優秀な成績を残している。
中央競馬で前年2月まで出走しており、中央での最終出走は優勝(5歳以上50万円以下)。
岡山競馬最末期の強豪馬であろう。
発売成績
前述のとおり、他の2競技の開催と重複すると成績が掲載されないため、未掲載の日は不明とする。
5月4日 2,373,300円
5月5日 2,652,500円
5月6日 2,015,900円
5月9日 2,082,700円
5月10日 2,197,100円
5月11日 不明
5月18日 2,359,100円
5月19日 1,231,400円
5月20日 1,720,700円
5月21日 2,133,000円
5月24日 不明
5月25日 不明
昭和33年度の岡山競馬総売得金が25,323,600円であることから、不明の計3日間の売得金は6,466,900円、1日平均約2,155,600円。
ちなみに5月25日の児島競艇と玉野競輪はどちらも売得金が500万円超であり、競馬の不人気ぶりが伺える。
その他特記事項
5月4日の開催で、藤井騎手が1日5勝を記録。
第1回開催は最終日の成績が不明なため5日目までの集計になるが、藤井騎手が7勝でトップ、次点で東森實騎手と水口騎手が5勝。
ただし東森實騎手については「東森」とだけ記載されたものがあり、それがブゼンハヤカゼによるものだったためプラス1勝の可能性が高い。
第2回開催は4日目までの集計となるが、楠見騎手が8勝でトップ、次点が石本騎手の5勝。
コメント
こんにちは
三蟠時代の岡山競馬場の詳細な状況を探していたのでとても助かりました!
貴重な情報ありがとうございます