1950年の福山競馬

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1949年9月18日に初開催を迎えた福山競馬。

1949年の福山競馬
福山競馬は1949年9月18日に初開催(広島競馬の第二競馬場時代を除く)。 これまでも初開催時の記録を探していて、やっとのことで初開催初日の結果表の一部の閲覧ができたのが今年の3月。 それ以降も国会図書館に連休を利用して計4...

1949年に行われた競馬は全て大盛況だったが、1950年2月の1950年初開催はその余勢からか出場馬申し込み馬が300頭を超え、内40頭を不合格にし開催された。

主な合格馬には速歩日本一というフクスケとイワヨシに、これまでの開催で好成績を上げていたイブキヤマ、マサカブト、フクミドリ、モモタロウが挙げられていたのだが、確認できる範囲でこれらの馬が勝っている例は見当たらず本当に出走したのか確認できなかった。

フクスケとイワヨシは確かに速歩競走の全国的名馬だったようで、確認できる限りでは後年になって南関東の速歩競走でイワヨシが優勝していることが判った。

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売上目標は6日間で3000万円と強気。
しかし結果は17,088,940円と目標を大きく下回る売上で苦戦。

また1950年初開催を前に電話番号を新設。
その番号「828」は福山市競馬事務局の電話番号「0849530828」に残っているように、この時から63年間使われ続けた。

確認できている出場騎手

安部千同古野今出世良幸畠中
池上寺田松尾今田大背戸美馬
岡田中川宮本重丸沢本福原
岡田和中塚吉川小松原谷原平岡
梶浦成松安川上原中津平野
城戸信政岡野上田槌田片岡
後藤東森河内上別府渡辺末広
桜井福島熊田神原藤井木村
世羅藤原国平世良藤井進

一度だけ名前を目にした上田騎手の騎乗馬はヒメジトツプなので、姫路競馬を主戦とする方の可能性がある。
同じく一度だけ目にした中川騎手の騎乗馬はフクイホープなので、北陸地方かつ金沢の中川一男、中川雅之の親族の可能性。
大脊戸騎手は速歩専門の騎手の可能性があり、また翌51年からは名を見かけることが無くなった。

施行距離

駈足
1000110012001350150016001650170018002000
速歩
1600200022002300240026002800

駈足の1650mは誤植の可能性が高い。

出走馬

駈歩

アカムラキンカイウンダイニツギイニシサカエマサカブト
アキコンドルギンバダイニトヨニシキニワチグサマサミツ
アサハヤカゼクニマサヒメダイニフジハキイシマリコ
アサヒクラニシキダイニマサミツハナヨシマルウメ
アシホマレクンプウタナカブトハヤフサマルシン
アズマライトグンマタイヨウタマヒメハヤブサマルマツ
アラニシキゴールドスタータマモードハルヅキミカサヒメ
イケホマレコマフブキチズカハルミツミスハヤシメ
イズモハツピーサトウメチヅカヒカリミスハヤヒメ
イチコウチサルコチンプクヒサカスミスミヤコ
イチトルシズカツネヤマビゼンチエリーミツサカエ
イブキヤマシロタマデルモライトヒノマルミヤタフオード
イブンミナトスイフトテンコウヒバラミンドホマレ
イワテフジスピードヒカリテンリユーヒメジモモタロウ
インデアンスモルクイントミサクヒメジトツプヤマトヒノデ
ウオンルムセイカイトムヒメハナヨゴレ
エイホウセラエイシユントヨナミヒメハマヨシタケ
オーエーセラエイシントヨハタビンオウヨシタロウ
オオトリセラカチドキトヨヒメフクザクラヨシタロー
オーラーセンヒメトヨホマレフクタカラツキーフクヤマ
オールトツプタイナガトフジフクミドリリード
オカヤマラツキーダイイチコザクラナニハホーライフクヤマホマレワカミズ
カイホウダイイチヒカリナニワチブサブンゴフジ
カガミコンゴウダイニサカエナニワトヨマイホシ
カツカダイニソールデントニシカワマサカツ

結果が掲載されるレースが第7競走前後までのため、最上級格付けに出走する馬はほとんど名前を見つけられていない。
イブキヤマについては10月15日の前半レースで上原騎手を背に出走し1着、単勝は1倍台だった。

速歩

アケボノクラブススムツルヒメフジホマレ
イサミカゼコマイチスタートツプハジメマツタケ
イワヨシコマフジセイキヨクパナーミエサンコウ
オオムスコサエキタローダイイチセンプクビゼンサクラバナミスヒロシマ
オカヤマアキフササカエダイニトモエヒロシマハヤトヨルダン
カストミシタタエダイニハヤタケフクイホープ
カツイサミシユンエイダイニフサンフクエイ
キヨシシラタエダイニワジヒメフクスケ
キンジヨウシンヒカリタクマルフジイ

速歩競走は基本的に第1競走と第4競走前後で1日に2~3競走が実施されていた。

出来事

・1950年初開催の売上は上述通りで、3月の開催売上は15,877,650円と下降線を辿る。

・1950年3月に福山家庭裁判所に送られた事件の件数の総数が42件(男36件 女6件)で内30件は未成年の馬券購入とのことで、確認できる限りでは福山競馬についての悪いニュースが報じられた最古のもの。

・1949年に呉市も福山競馬の開催を志願したがいつ開催できるか未定だったところ、4月中旬に呉市営福山競馬の開催するという旨の記載された広告用マッチを福山に送り、4月に開催する予定だった広島県営開催を県が呉市に譲る形での強硬策で初開催を迎えた。

・呉市営開催の直前である4月14日、5月からの広島市営福山競馬の開催に向けての事務視察が行われる。

・その呉市営競馬では46,800円の大穴配当決着があったが、この当時は10円券なので、もし10円での配当であれば4680倍の福山競馬史上枠単歴代最高倍率決着である可能性がある。

・呉市営開催は4日目の時点で810万円の売上と、開催ごとに売上が減少していることが伺える。

・呉市営開催の最終日には「全国競馬ポスター展」の入賞発表が行われ、1等には自転車が用意されていたとのこと。

・4月22日の開催で、確認できる8レースまでで上別府騎手が3勝を上げていた。また大背戸騎手も勝っていない日を見つける方が難しいほど頻繁に勝っていた様子。

以下2023/10/3追記
・7月8日の第2回福山市営競馬開催初日の1レースで単勝の特払いが発生。特払いはこれが初めて。

・8月21日の山陽新聞記事にて、日本紡績が関西一円に大工場を設置する方針で、候補地に福山競馬場付近に白羽の矢を立てていると報じられる。その中で、競馬開催から約1年が経過し、金詰りで発売額が減少していることから、話次第では競馬場の土地も売るとのこと。

・9月2日の広島市営福山競馬5日目の第10競走で、連勝式馬券が832.9倍の大穴となった。

・9月16日からの福山市営1周年記念競馬は、優勝賞金200万円を計上、3日目と6日目は入場者抽選プレゼントを実施、県議会議長賞、市長賞、市会議長賞、商工会頭賞レースの実施も予定されている。

・10月10日からの第4回福山市営競馬は、開催の一部が岡山競馬と重複しており、10月4日の運営委員会にて出場馬と来場者の確保を目的として、優勝賞金を180万円から250万円に増額と、入場者へのプレゼントを決定した。

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