ホマレイチが福山の夏季休催中に金沢競馬で重賞を制していたことがきっかけで、ではその前後の福山での成績はどうだったかを知りたく調査。
現時点では、1960年の4月から9月までが調査できている範囲となっている。1960年全ての成績の追跡が完了している。
山陽新聞を用いた本調査では、この年の4月18日の成績表から各レースの2着馬までの馬名と配当が記載された箱型の表示に変更。
この箱型の成績表はマイナーチェンジを加えられつつ約9年使用された。
成績表に騎手名や施行距離、レースの格付の記載はなく不明な点は多いが、馬名を見る限り上級馬のレースは最後かその前に行っていたと推測される。
また2着馬までの表記のため情報は不足気味だが、連日出走が可能だった様子。
出走馬
アカツキ | キヤンベラ | スワロー | トサカブト | ホウシン |
アキアサカゼ | キヨノブ | セイハ | トシユキ | ホウタイコウ |
アキコトブキ | キングサカエ | セイホウ | トチギ | ホウライト |
アキナカムラ | キングストラグル | セーフテイラツク | トネホコレ | ホーシユウムスメ |
アサタロウ | キングゼセカンド | セツリ | トネホマレ | ホシハタ |
アシヤクラウン | キングヒーロー | センゲン | トミシヨウ | ホマレイチ |
アシヤパーク | キングヒメ | セントクイン | トミニシキ | マーガレツト |
アズマオーザ | キングメリー | セントパレード | トルースカツプ | マイオーダー |
アタミヒガシヤマ | キンシヨウホマレ | ソウリユウ | ナガトスミス | マサプレー |
アヅマオー | キンチエム | ダイイチキユピツト | ナニワタカヒロ | マサミドリ |
アヅマダイコク | キントキタロウ | ダイイチキンカザン | ニシキオー | マスラオ |
アラカゼ | キンフク | ダイイチナルミ | ニユージヤパン | マツカゼ |
アンチフオード | キンラク | ダイイチヒガシヤマ | ニユーバラツケー | ミスセフト |
イクラント | ギンレイ | ダイイチマツオー | ニユーホークス | ミスタータツヒデ |
イケヅキ | クインモア | ダイオー | ニユーホマレ | ミスターマツヒカリ |
イソアラシ | クニホマレ | ダイナナムーン | ニユーヨシタカ | ミスタオンワード |
イチカオル | クモザクラ | ダイニキンポウ | ノリコシ | ミスチクゴ |
イチクモタケ | クモノフジ | ダイニコトブキ | ハイレイ | ミストクヒメ |
イチヒカリ | クモハナ | ダイニハヤカツ | ハクスイ | ミスハナカゼ |
イチホウシユウ | クラウン | ダイニホンポウ | ハクリユウ | ミスフクマサ |
イチヨシノ | クラオキ | ダイハツ | ハタカゼ | ミスフクマサ |
ウイノー | クラツクフジ | ダイヒチヒガシヤマ | ハタツバメ | ミスホウセイ |
エーコー | クラツクモアー | ダイヨンハツギク | ハツエビス | ミスホーセイ |
エゾニシキ | クラフト | タカサゴ | ハツエベス | ミツサチヨシ |
エバーオンワード | クリヒカル | タカノオー | ハツサカエ | ミナトホープ |
エベレスト | グレートアソ | タカノフジ | ハツザクラ | ミネノホマレ |
エムユー | クロシオ | タカヤホマレ | ハツハギノ | ミヤヒメ |
オオニシキ | ケンブリツジ | タケソツオー | ハツヒサ | ミリオンネア |
オーミタカヤス | コーセツ | タケゾノオー | ハヤナミ | ミワダテヒカリ |
オーミタカヤマ | ゴールドヒメ | タケトモ | バラホープ | ミワマサカリ |
オールイチ | コスモポリタン | タツミライト | バンバンザイ | ミワマサヒカリ |
オールカツ | コルヨシ | ダテフジ | ヒウガハツヒメ | ムサシカツプ |
カールパイロツト | コンデー | タマイワイ | ヒチフクツバメ | ムサシテンリユウ |
カーレントクイン | サーチライト | タマキヨ | ヒトトビ | ヤシマライト |
カーレントリユウ | サーマウント | タマノハナ | ヒメクモ | ヤスヒカリ |
カゴミスヒカリ | サインパーク | タマノヒメ | ヒメサカエ | ヤマトホマレ |
カシマオ | サクラクイン | チクシオー | ピヤレー | ユウゲツ |
カズイチ | サチタケ | チクマカゼ | ヒロイチ | ユウシユン |
カズフミ | サチフオード | チクマハヤト | フクスケ | ヨサコイ |
カチクラホマレ | サチフブキ | チバミドリ | フクステーツ | ヨシタカ |
カチザクラ | サツキホマレ | チヨウウン | フクトク | ヨシトミ |
カチススム | サンダーバード | チヨカブト | フクトリ | ヨシトモ |
カチホマレ | シゲイチ | ツキザクラ | フクハヤ | ライクモオー |
カツゲン | シゲヒカリ | ツギヒメ | フクフク | ライトオール |
カツシオー | シズトヨ | ツキミンド | フクホウシユウ | ライトキング |
カツチカラ | シズナイタカラ | テイトリス | フクユウ | ラツキー |
カツニホン | シマハナ | デラツクス | フジアサヒ | ラペンダー |
カツハナ | ジヤイアンツ | テルホマレ | フジチドリ | リーデイングホース |
カツヒロ | シロノータ | テルヨシ | フジヒビキ | リユウモン |
カツミネ | シロハタ | トウカイ | フジライト | リユーモン |
カツムサシ | ジンスケ | トウヨウイチ | ブゼンハヤカゼ | リリアン |
カツヤキング | シンセカイ | トーヨーヒカリ | ブラツクナイト | レツドアロー |
カツリユウ | シントヨ | トキカブト | フラツシユライト | ロツクラン |
カネキク | スイセイ | トキノオトコ | プラムオー | ワカオー |
カブトリユウ | スーパーマン | トキノチグサ | プレイホマレ | ワカザクラ |
カミユー | スシノトモ | トキノナガシ | ブレーブライド | ワンゴール |
キクスイ | スチール | トキワヒメ | ペカン | ワンリード |
キクミドリ | スミノトモ | トクアヅマ | ヘレスカント | |
キタシン | スリーダイヤ | トクチカラ | ヘレスカントー |
1950年代初めと比べると、馬名の誤記とみられるケースは大幅に少なくなったが、一部誤記ではないかと思しき馬名はある。
この当時の福山競馬はサラブレッドも在籍している時代のため、馬名をJBISで検索すると、年代的にも恐らく同馬ではないかと推測される馬が割に多かった。
ヒロイチについては、リンク先の馬とは異なるだろうが、一応リンクを貼った。
ブゼンハヤカゼは岡山競馬廃止後に金沢競馬で重賞を制したと記事にしたことがあるが、それから2年後のこの当時も福山で走っているとは思わなかった。
調査の本丸だったホマレイチは4月・5月・9月の調査が終了した時点では一度だけ名前を見たにすぎなかったが、1着ホマレイチ2着ニユーホマレの配当が150円とかなりの支持を受けていた。
そのホマレイチが金沢で重賞を制した際に名を見かけていたトルースカツプも福山で走っており、福山から金沢に遠征に出た内の1頭だったのかもしれない。
トルースカツプは1960年の1月から3月にも出走しており、金沢の開催が始まるタイミングで移動した馬の1頭であることが濃厚。
JBISで検索した際に「主な成績」が表示される数少ない馬の中にエーコーがおり、その成績が益田での重賞3着というもの。
アカツキは中央で桜花賞5着があるアカツキと同一馬である可能性がほんの少しだけある。
その根拠はJBISで見る限り、中央で58年まで走っていながら、繁殖実績は63年産駒からとブランクがあり、その間である60年に福山で走っていてもおかしくはないというだけのもの。
しかし、繁殖馬として裾野がそれなりに広がっている中央で活躍したサラが、本当に福山に来たかと考えると首を傾げる。
余談ではあるが、1960年については過去に関西公営に遠征した福山の人馬を調査した際の資料が手元にあり、そこを記事にしつつまとめていくことで、よりこの当時のことを深堀できそうなのだが、如何せんその量が膨大で、着手にはもう少し時間がかかりそう。
ダイニコトブキについて
ダイニコトブキは南関東地区で1958年から1962年まで活躍した駿馬であるが、それと同名の馬が1960年10月の福山競馬開催で出走している。
これについては地全協設立前のため同名馬の可能性もあるが、そうとは言い切れない理由として、1960年のみ南関東のダイニコトブキがレースに出走していないことがある。
1959年に同馬は中央競馬に移籍したが、脚部不安もあり3回の出走に留まり、そのまま長期の休養に入り1961年に復帰、という記録が残っている。
ちょうどその空白の期間の、それも10月以前には一度もダイニコトブキの名前が出てこなかったため、南関東復帰前に実戦で使ったと考えることもできる。
これについては、少なくとも1961年及び1959年の調査を進める中で同名馬が出てこないかを確認すること、また初出の開催では九州・下関・姫路からの出走馬もいたため、そちらに同名馬がいなかったかを確認する必要があろう。
何か情報が得られれば追記する。
主な競走馬の成績
1960年の金沢競馬について調べ、福山から遠征に出たと思しき人馬について情報をまとめた。
また、昔の園田競馬のことを記事にした際に登場していた競走馬名を見かけた。
それらから、福山でも上級格付であったであろう競走馬や、馬名が記憶にあった競走馬について、1~3月及び10~11月に関してピックアップした。
なお、抜け漏れや、途中からチェックしなくなったものを含む。
アサタロウ
1月4日 11R 2着(1着トーヨーヒカリ)
3月7日 10R 2着(1着ホマレイチ)
3月23日 11R 2着(1着ホマレイチ)
カーレントクイン
1月6日 10R 1着(2着セイハ)
2月20日 11R 2着(1着デラツクス)
3月12日 10R 2着(1着イチヨシノ)
3月29日 9R 1着(2着トキワヒメ)
セツリ
3月13日 9R 2着(1着トルースカツプ)
3月20日 10R 1着(2着イチヨシノ)
3月23日 12R 2着(1着トルースカツプ)
タカノオー
1月4日 6R 2着(1着タマイワイ)
トルースカツプ
1月2日 12R 2着(1着ホシハタ)
3月13日 9R 1着(2着セツリ)
3月23日 12R 1着(2着セツリ)
フジライト
2月21日 8R 1着
ブゼンハヤカゼ
1月3日 12R 2着(1着カツニホン)
1月31日 10R 1着
2月2日 11R 1着
2月22日 12R 2着
プレイホマレ
1月30日 12R 2着(1着デラツクス)
ホマレイチ
3月7日 10R 1着(2着アサタロウ)
3月23日 11R 1着(2着アサタロウ)
10月3日 11R 1着(2着サツキホマレ)
10月17日 11R 2着(1着ニユーホマレ)
11月4日 6R 1着(2着サツキホマレ)
発売成績
1月2日 6,827,800円
1月3日 8,175,100円
1月4日 5,956,800円
1月5日 4,673,300円(4,674,800円の可能性あり)
1月6日 3,928,000円
1月7日 5,288,400円
1月28日 4,562,900円
1月29日 4,610,900円
1月30日 4,209,600円
1月31日 5,044,900円
2月1日 4,054,100円
2月2日 5,178,900円
2月13日 3,155,200円
2月14日 4,605,800円
2月15日 3,802,100円
2月20日 3,638,200円
2月21日 5,082,900円
2月22日 4,025,100円
3月5日 3,469,500円
3月6日 5,454,200円
3月7日 4,314,000円
3月12日 3,488,200円
3月13日 4,652,100円
3月14日 4,138,900円
3月20日 4,522,900円
3月22日 3,775,900円
3月23日 3,657,000円
3月27日 4,867,600円
3月28日 4,260,100円
3月29日 4,551,700円
4月9日 3,512,500円
4月11日 4,334,800円
4月12日 4,225,500円
4月16日 4,229,800円
4月17日 5,128,100円
4月18日 5,211,900円
4月29日 3,769,200円
5月1日 5,287,000円
5月3日 4,980,100円
5月5日 6,193,000円
5月6日 3,446,000円
5月8日 6,100,000円
9月17日 2,264,000円
9月18日 3,761,700円
9月19日 2,140,600円
9月23日 3,198,900円
9月24日 1,913,900円
9月25日 2,892,700円
10月1日 2,093,500円
10月2日 3,821,000円
10月3日 2,588,200円
10月8日 2,404,800円
10月9日 3,569,300円
10月10日 3,488,800円
10月15日 2,495,500円
10月16日 4,169,000円
10月17日 2,907,500円
10月22日 3,036,000円
10月23日 4,335,300円
10月24日 3,643,400円
10月30日 3,735,400円
10月31日 3,307,000円
11月3日 4,772,100円
11月4日 3,504,000円
11月5日 4,165,700円
11月6日 5,532,500円
11月21日 2,927,000円
11月23日 4,785,100円
11月24日 3,613,400円
11月27日 4,747,200円
11月28日 3,582,100円
11月29日 4,379,900円
その他
競馬が休催中の8月に競馬場のコースを使って招魂祭バイクレースが行われており、そこで連日にわたって事故が起きていたことが記事になっていた。
このバイクレースがいつまで行われたのかは不明だが、「広島モーターサイクルレース全史」を見れば判明するのではないか。
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