金沢競馬 アラブ1500mレコードホルダーのマスセイコ

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先日、金沢競馬の昭和58年度競馬成績を手に入れた。
年間のレース結果を売上等の詳細と共に全て載せているもので、昭和58年度のみでもレース数は1025回も実施されているので未だざっと全体のページを流し見た程度にしか確認はできてない。

マスセイコ

マスセイコはそんな中ですぐに目についた馬名。
ただ既視感はあってもどこで見たのか思い出せずJBISで検索し、繁殖成績でローレルキセキキタノスイグンの名を見つけて既視感に納得。
両馬とも福山で活躍した馬で、特にローレルキセキは「ザパルテノス以来の天才牝馬」とまで称された馬。
晩年の成績が少し冴えたものではないが、旧4歳時までの成績は非常に良く、4歳春の時点ではダービー馬候補の本命に推す声すらあったほど。

さて、マスセイコの話に戻そう。
マスセイコはこの年度に15戦2勝で、これだけを見ると決して優れた成績ではない。
ただし格付はA1級(当時の金沢競馬にはA1イとA1ロがあり、イロハの順に格が下がる)の最高峰で、2着が7回、そして掲示板を外したのは1回だけという抜群の安定感。

JBIS上では表記されていないが、2勝のうちの1勝は重賞競走の「農林水産大臣賞典」。

この時のレコードは金沢競馬でアラブ競走が廃止されるまで破られることなく、今も公式サイトにはこの時のレコードが掲載されている。

マスセイコの主な産駒

翌59年は4戦して繁殖入り。

初子のシズヒロセイコーが金沢競馬で行われた第1回AGIアラブチャレンジ優勝を含む22勝と活躍。

トキノセイコも金沢のアラブ3歳優駿(旧3歳)を制しているが繁殖入りはできていない。

おそらくアラブ競走が末期になっていたことが原因ではなかろうか。
94年の産駒であるミラクルセイコは繁殖牝馬となったが、引退したのは1999年。
それ以降の産駒は引退年が全て2000年以降で、アラブ競馬が急速に規模を小さくしていた頃。
中央でアラブ競走を行っていた時代に引退した牝馬産駒は全て繁殖牝馬になっていることからも、アラブを取り巻く競馬会の有り様が大きく変わっていたことが伺える。

競走実績ではやはりローレルキセキが一歩も二歩も抜けている。
重賞は4勝していて、全日本アラブクインカップの福山代表選考レースであるビーナス賞を2年連続で制覇し、2度とも福山代表として全日本に駒を進めた。
また福山生え抜きの牝馬としてA1級のレースにも勝利していて、これは後年のラピッドリーランが頻繁に勝っていたから感覚がマヒしがちだが、生え抜きの牝馬がA1を勝つ例は少ない。

またローレルキセキについてはどこかで記事を書こうかと。

昭和58年度競走成績

年月日競馬場競走馬場人気着順騎手距離賞金
斤量タイム
1983年4月2日金沢A-1(ロ)特別12吉井敏雄1700620000
55.01.53.4
1983年5月15日金沢A-1(イ)特別45山元久己1700190000
54.01.52.0
1983年5月28日金沢A-1(イ)特別42山元久己1700570000
54.01.52.0
1983年6月11日金沢A-1(ロ)特別14山元久己1700232000
55.01.38.8
1983年7月10日金沢A-1(イ)特別22寺田茂1700760000
54.01.49.9
1983年7月24日金沢農林水産大臣賞典不良61寺田茂15004200000
53.01.35.2
1983年8月7日金沢A-1(イ)特別22寺田茂1700760000
55.01.50.2
1983年8月21日金沢A-1(イ)特別31寺田茂17001900000
55.01.52.6
1983年9月4日金沢第14回 中京スポーツ賞26寺田茂21000
54.02.19.5
1983年10月1日金沢A-1(イ)特別34東方高行1700285000
55.01.52.6
1983年10月15日金沢A-1(イ)特別23東方高行1700380000
54.01.51.7
1983年10月29日金沢A-1(イ)特別不良22寺田茂1700760000
55.01.52.0
1995年10月1日金沢A-1(イ)特別不良62古性秀之1700760000
55.01.50.2
1983年11月27日金沢第8回 北国アラブチャンピオン不良34寺田茂2300900000
54.02.34.3
1983年12月11日金沢A-1(イ)特別不良32古性秀之1700760000
55.01.53.8

(タイムの赤字はレコード)

1983年度は15戦で(2.7.3.3)
獲得賞金 1307万7000円(レコード賞・着外手当・長距離手当で別途8万4000円)

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