歴戦の名馬と新進気鋭の名馬

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2005年度より賞金額が大幅に削減された。
A3の1着賞金35万円は昨年度の最下級より少し上のクラスの1着賞金、経営状態を考えると致し方ないとはいえ哀愁漂う。

それでも兵庫県が2004年度にアラ系競走を廃止し、アラ系競走を実施している競馬場の中ではかなり賞金に恵まれている状況。
賞金額が下がってもなお全国から福山にアラブの猛者が集う。

ゴールデンウィーク開催のこの日、いつもの開催よりも家族連れが目立つ。
メイン競走はA2の福山さつき賞。
2008年と2009年には、2008年から福山桜花賞がサラ系競走に転換されたのでアラブの重賞競走として再編されたが、かつては新春賞と同じくA2重賞という位置づけであったこの競走。
特別競走に格下げされてからもこの時期定番の2250m競走として長きにわたり施行されていた。

福山さつき賞

さて、福山さつき賞に出走した各馬を見てみる。
ネームバリューは兵庫アラブの名馬ワシュウジョージが一歩も二歩も抜きんでている。
既に9歳で全盛期の力は望めず近走も冴えないので、準オープンでも人気薄に甘んじている。
2004年の金杯では先行馬総崩れの乱ペースを後方からナタの切れ味で一気に差し切り優勝も、福山移籍後の重賞勝ちはその1勝のみ。


ワシュウジョージ最後の重賞勝利の馬柱

そのワシュウジョージの全弟タッカーワシュウは昨年度の福山ダービー馬。
ここ2走で着外が続き少し人気を落としている。
やはりその血統から、デビュー時より大物と評判だった同馬。
全日本アラブグランプリで落馬など思うように活躍はできないが、それでも世代を代表する馬の一頭であることに疑いはない。


タッカーワシュウのデビュー戦
大物登場の煽りもデビュー戦は2着

デビュー戦で後述するサンクリントを千切って圧勝したイケノスカレーと、後に日本最多勝馬となるモナクカバキチはこのレース後に名古屋競馬に移籍。
福山の最上級では厳しいレースが続いていた2頭だが、名古屋に渡りすぐさま活躍したのはそれだけ福山の層が厚かったことを示しているのかもしれない。

イケノスカレーは園田デビュー。
2003年7月のレースをもって福山に移籍。
兵庫ではデビューしてすぐ長期休養し重賞戦線に顔を出すことはなかったが、全て3着以内にまとめて来福。
移籍後5連勝で、その5勝目はラピッドリーランを下した福山3歳牝馬特別であった。
その後は調子を落とした時期もあるがA1まで昇級。
2004年の金杯でワシュウジョージの3着になるもこれは展開に助けられた感が否めず、それ以外のA1レースでは苦戦続きだった。

モナクカバキチは2歳時からその素質を認められていたが、その片鱗を見せるレースはすれども肝心なところで才能を発揮しきれないもどかしいレースが続いていた。
2004年の8月号?だったかのハロンで調教師の荻田師が「負けが続くと馬に自信がなくなるから」という理由で他場に短期間の移籍をしているという旨のコメントがあった気がする。
最多勝記録の55勝のうち半数の27勝は福山以外と、もし福山でデビューしていなければ記録をもっと伸ばせていたかもしれない。

長距離プロパーのニュータイムとメカリジョージ。
ニュータイムは出世が遅く最後まで同世代限定の条件戦を抜け出せないまま古馬になり一般編入されたが、そこから才能が開花し一気に駆け上がりA級に定着。
前年の同レースは怪物クロイチョキンバコの2着、翌年は1着と長距離適性の高さが伺える。
メカリジョージは脚質的に長距離が向いているだけで、特別適性が高かったとは思わない。
道中は後ろからで最後は鋭く伸びて上位入着を果たすタイプで、2002年の同レースを勝利。
2005年の福山大賞典でも入着。

ヤマノダイオーは上山から旧3歳時に移籍しキングカップを優勝、ダービー2着で園田の楠賞に出走した馬。
一線級とは力差があるも空き巣レースやA2級で堅実に駆けていたが、8歳になりA2でも好走が難しくなってきた。
ラジオでゴット岡本氏が(ゴッドではなくゴット)「上山三羽烏の一頭」とずっと言っていたが、アオイリュウセイとヤマノダイオー、あと一頭はどの馬だろうか失念。
同時期の活躍馬からアキタオーカンのことを指しているのかもしれない。

セイコウは相手なりに走る堅実ぶりが目立つ馬で、ここでは本命馬に抜擢される。
個人的には2歳時のニューヒーロー特別でその当時に圧倒的な実績馬だったユタカリュウオウを降し、快速で鳴らしデビューから2戦連続で2着に2秒以上の大差をつけていたデザートビューに土を付けた意外性の馬という印象が強い。


2600mの福山競馬レコードとなったレースでメカリジョージが5着

レースはモナクカバキチが圧勝。
A1で負けが続いていたとは、降級すればレベルの違いで勝ててしまうということか。
確かにこの当時はA1とA2の間には非常に大きな壁ができていて、かつてのヤマノダイオーもそうだったが降級すれば即勝ち負けできる程に格差が大きかった。
2着には長距離馬ニュータイム、3着にはメカリジョージと入るが人気薄で3連単は万馬券。
降級を利しても惨敗のワシュウジョージは、もう長丁場が堪える年齢だったのかもしれない。

記憶が確かならニュータイムの単勝と複勝を買っていて、複勝でそこそこの配当を的中だった気がする。
けれどそれ以上にモナクカバキチの圧勝ぶりが印象に残っているレース。

チューリップ特別

A3級のチューリップ特別も豪華な出走メンバーにより行われた。
全日本のタイトルを持つ2頭が出走で、そのうちの一頭はアラブによる最後の楠賞の覇者サンクリント。
母はバコール、父はスマノヒツト
そう、つまりサンバコールの全弟である。
クリントもハリウッドスター由来とサンバコールと同じ。

兵庫アラブの最期の怪物と言って過言ではないサンクリントは、2003年のセイユウ記念出走後に長期の休養に入り、出走実績がなかったためNARサイト内では登録抹消扱いされたが、抹消される前に能検に出走していたので「能検で故障か」との憶測が流れた。
もちろんその後は抹消の文言もなくなり出走し、1年8か月ぶりのレースで4着とさすがの走り。
2走目で更に上昇が見込め今回は本命に推される。


サンクリントの移籍初戦の馬柱

もう一頭の全日本タイトルホルダーはフジナミスペシャル
3歳時にはユノワンサイドに福山クラシックの全てのレースをさらわれてしまったが、全日本アラブグランプリではユノワンサイドとの直線の激しい叩きあいを制して優勝。
単勝1万円を超えるビッグ配当も、もちろんそこまで低評価の馬ではなく、投票数の少ない単勝式馬券で票数の偏りが生じたため。
長距離では圧倒的な実績を誇っていたが、2002年のセイユウ記念3着後の休養明けからピリッとしないレースが続く。
結局セイユウ記念後に勝ったのはその休み明け2戦目の福山菊花賞のみで、このレースを含めその後は一度も勝利することなく静かに登録を抹消された。

クールテツオーは晩年の兵庫アラブの強豪馬。
フジナミスペシャルが制した全日本アラブグランプリでは本命に支持され3着。
「サンバコールがアラブレッドを一蹴する」の実況でおなじみの2002年兵庫大賞典でロードバクシンと直線で鋭く伸びてきている馬、と言った方がアラブ競馬に明るくない人には伝わりやすいかもしれない。
2003年のタマツバキ記念に出走し、そのまま福山に移籍。
この馬も福山に来てピリッとしない。
福山の土が合わないのか、調教等が合わないのか、既にピークは過ぎていたのかはわからないが福山に移籍後は未勝利。
最後のレースでは故障発生で競馬場を去った。


当該レースの次走にあたるレースの馬柱

ダイニアキフジは2001年の全日本2歳アラブ優駿2着、2002年のキングカップ優勝、福山ダービーで2着、楠賞4着。
3歳時には厳しいローテーションをこなしてA1に出走するまで出世したが、そのローテが響いたか4歳以降はまともに使えずレースでも良いところがなく引退。

そのダイニアキフジと同期で鎬を削っていたアヤヒカリとマルサ。
アヤヒカリは2002年の全日本アラブグランプリで福山勢最先着の5着を果たし、福山3歳牝馬特別で優勝の馬。
2歳時のひまわり賞はレース中のアクシデントで惨敗したが、2歳戦線の最初期を引っ張っていた馬。
グレートエルザは名繁殖馬。
この母系については以前ブログで取り上げたので、興味のある方は一読ください。

1958年の園田競馬
福山のことを調べていると他所の競馬場の情報も入ってくる。 というわけで、せっかく手に入った情報なのだから世に公開することで誰かの為になってくれればと思い公開。 これに限らずですが、新たな情報が入れば逐一追記。 お気づきの点があれば...

マルサは福山では珍しかったセン馬。
ダービー出走への最後の切符だったデイリースポーツ賞では不良馬場を逃げ切りダービーへ駒を進めた。
重賞の勝利には遠かったが2着は2回。
そのどちらも交流重賞というのは少し珍しいかもしれない。


この記事で取り上げた馬が多数出走した2002年の福山ダービー
ここで言う「二冠」とはクラシック二冠の意味ではなく3歳重賞二冠という意味

ヘイセイシャレードは前述3頭と同期もクラシックには出走できず。
着実に昇級していき、このレースからA級定着。
B級時代にはクロイチョキンバコに初めて土を付けたことも。

リードオーカンも同期にあたるがデビューは兵庫。
母のリードユウシユンからはナタリージョージリーガルジョージなど活躍馬多数でこの馬もその一頭。
兵庫時代はS1まで出世するも時代はアラブからサラへの転換期、層が薄くなりお鉢が回ってきた感は否めず福山に移籍後はB級からスタートし勝ちきれないレースが続く。
もどかしいレースが続いても堅実なレースで確実に昇級していきA1まで昇級。
2006年の福山桜花賞は最低人気ながらレコードタイのユノフォーティーンにコンマ1秒まで詰め寄るあわやのシーンを演出。
2007年のアラブ競走としては最後の福山さつき賞を優勝。

ホーエイスナイパーはこの中では一番の若馬で、前述のタッカーワシュウなどクラシックを盛大に盛り上げた一頭。
重賞勝利こそ新春賞のみでシルバーコレクターの名が相応しいほど2着が多いが、高知に渡ってからは連戦連勝。
アラ系競走が廃止されサラ系競走に編入されてからもE7級と好条件に編入されたこともあり、B級に格付けされるまではノンストップの12連勝。
それ以降は勢いが削がれるもA級まで昇級。
県知事賞にも出走するがさすがに相手が強力なのと年齢もあってか惨敗に終わる。
福山時代よりも高知時代の方が、地方競馬全体のファンにとっては印象深いかもしれない。


本当に重賞2着が多かったホーエイスナイパー

さてレース。
本命のサンクリントは先行集団のやや後ろにつけるも、勝負所で上がってこれず直線は失速。
ホーエイスナイパーが先行抜け出しで危なげなく勝利し、2着は後方2番手追走だったアヤヒカリ、3着は最後方からヘイセイシャレードと勢いのある馬たちが歴戦の古豪を退ける形になった。
入線後にサンクリントの騎手が下馬し何か後味の悪い結果に終わり、後にサンクリントは登録を抹消された。

盛者必衰なのは分かっていても、実際にその光景を見るのは寂しいもの。
アングロアラブの生産馬は急激に減少し、アラ系競走を組む競馬場も年々減っていた。
それでもこの時はまだアラブの新馬戦も組まれ全国交流レースも施行されていたが、既に終わりは始まっていた。

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