1958年の園田競馬

スポンサーリンク

福山のことを調べていると他所の競馬場の情報も入ってくる。
というわけで、せっかく手に入った情報なのだから世に公開することで誰かの為になってくれればと思い公開します。

これに限らずですが、新たな情報が入れば逐一追記していきます(追記した箇所は判別できるようにします)。
お気づきの点があれば遠慮せずコメント欄やツイッターを通じてお知らせください。
情報提供もお持ちしております。

確認できている出場騎手

立田(和明?)藤原(幸藏?)佐藤忠長尾昭西村昭(八?)
揖信中村正(一?)中尾利国寅(雄?)碇(一幸?)
坂本長田(義?)直田中義(治?)太田松浦
西村昭中村清杉浦増田(勝彦?)葛城
長谷川山本勝西村哲岩元横山
田中千柿木(義也?)山本栄阿部良加藤(昭次?)
藤本年(夫?)井上貞(男?)井上勇小原前田(高明?)
大塚(良隆?)谷口仲島村上池田(権平?)
永井前園(義夫?)大宮有本(定夫?)深野
稲田大石上田市井上明大倉
橋本重藤本巧河瀬三宅石戸谷(勇藏?)
坂上溝橋弘河村(嘉巳?)保利真武田
吉田山崎(一二三?)鈴木廸細川屋敷(日出男?)
鴨林(武男?)黒田(虎次?)利国彦(一?)三好上田岩(吉?)
薮田昇工藤桑野井上秀(二?)岩崎(良藏?)

(〇?)はデータベースで調べて同一であろう方がいる場合に、推測として書き加えています。

施行距離

 

平地
1350m1800m
障害
1650m1800m

深く調査していないので判明分は以上の通りですが、平地に関しては上記よりも短い距離・長い距離ともに施行されているはずです。

サラブレッド競走

園田は「アラブのメッカ」として知られていますが、少なくとも60年代に入るまでにはサラブレッド競走を実施していました。
そもそも戦後まもなくの時分には、おそらくは南関東を除く全ての地方競馬で血種別競走だけを行うことができず、園田も当初はアラブすら頭数を揃えることができなかった。
地方競馬史第2巻によると、豪サラを移入しても資源が続かず最終的にアラブだけが残っていき、県もアラブ一本で行う方向に舵を切ったそう。

1958年の出走表を見ると大半がアラ系競走ながら1開催に数レースのみサラ系競走を行っており、アラブ専門になったのは1960年辺りだろうか。少なくとも1962年にはサラ系競走は見受けられなかった。
福山は1967年からアラブ専門になったので、福山よりも約7年早くアラブ専門になった様子。
その経緯も福山とそっくりで、違いは豪サラを導入しなかった点。
次第にアラブの数が増えていき、サラ競走が消滅していった。

ただし福山の場合はサラがアラブ競走に編入され暫くはアラブに交じって出走していたので、園田の場合も締め出しが行われなかったのであれば同様のケースが考えられる。

以下は1958年に行われたサラ競走2つを書き起こしたものである。
なお当時の園田は6枠制であること、馬のリンクは「該当の馬か不明だが、該当年に出走できる年齢かつ品種で一致するものが1頭のみ」の馬をリンクしており、決してリンク先が同馬を指しているとは限らないことをご承知おきください。

1958年1月3日(金) 9レース 1800m

枠番馬名斤量騎手
1タゴノウラ56大倉
2ヨシトモ52前田
3ダイニホウリユウ50立田
4ブゼンイチフジ55井上勇
5イセユウ55河瀬
6マスラオ52西村
6ハタノオー58上田市

1958年1月5日(日) 1レース 1350m

枠番馬名斤量騎手
1ウードマンナー52上田岩
2ワカシオ56田中千
3サンゴ56永井
4テンコー54河瀬

結果
1着ワカシオ 2着サンゴ
連単2→3 460円


2つのレースの内、前記の方は12レース編成の9レースだったことから格式が上のレースだった可能性が高い(レースの条件がサラとしか表記されていないので正確な判断ができず)。

当時の重賞

園田に限らず兵庫県はNARの重賞成績以外で昔の結果が判るものがどこにも見当たらず、情報として月刊地方競馬にて福山のアサリユウセンプーが楠賞を制した際の一文に

浜田輝和師は春木に所属の騎手時代に園田の六甲盃を制している

といったものがあり、もしかすると福山の騎手が関西公営に遠征していた際に一つくらい大きなレースを勝ったことがあるんじゃないかと興味のあった分野。

1958年 1月5日(日) 1800m 新春園田銀盃

枠番馬名斤量騎手
1ミスタイコウ53西村昭
2エルフオード58河村
3ウイルソン54立田
4ニユーラツキー61岩崎
4キヨハナ56山崎
5ミスドーリヨウ54上田市
5ホーセイ52有本
6ローズリング59井上勇
6シヨウキ54鈴木廸

結果
1着エルフオード 2着ニユーラツキー
連単2→4 660円

2018/05/20追記
3着はホーセイらしいが斤量が53.5となっており一致しない
エルフオード鞍上の河村騎手は河村嘉巳騎手であることが濃厚
1着賞金は20万円で、勝ちタイムは2分4秒

競週地方競馬1969年10月号によると、その当時の園田銀盃は旧5歳の牝馬限定戦ということなので、この時も同様の条件が付されていた可能性があるが断定する材料がなく不明。

2018/05/20追記
この年の新春園田銀杯は後年の新春園田銀杯とは同名の別レースで、当レースは後の新春賞へとつながるレースと判明
回次は翌年を1回目としており当レースは含まれていない

そのためサラの出走表と同じ条件でリンクさせているので該当馬かどうかの信憑性はかなり薄い。
しかしこの中のミスドーリヨウは馬名の珍しさから、同馬と思しき馬が唯一1頭のみヒット。

ミスドーリヨウの繁殖成績から何か判ることはないか掘り下げてみる。

ミスドーリヨウの産駒カルミアからは、高知のアラブ3歳優駿で3着の後に福山でD級からオープンまで一気に駆け上がり、1979年の農林水産大臣賞典(福山大賞典)でミスタマキの2着に食い込んだホマレエルザがおり、その妹のホマレエイランから産まれたエイランキング88年の福山で行われたキングカップを優勝、その妹グレートエルザ89年の福山の福山4才牝馬特別を優勝。

グレートエルザは繁殖馬としても優秀で、スケルトンダンディが高崎で一時代を築き、ドリーミングが上山から福山に移籍して金杯を含む8連勝の大活躍。
ドリーミングの全妹のアヤヒカリは福山でデビューし福山3歳牝馬特別を勝ち、全日本アラブグランプリでは福山勢最先着となる5着などしてオープン級で活躍。
グレートエルザの妹グレートフロアは佐賀でデビューした後に福山に移籍し、重賞勝ちはないもののオープンまで上り詰めた。

こうして大部分が福山で活躍した馬達の礎となったと言っても過言ではない馬の現役時の姿を、姿ではなく文字として見ることができただけでも心の底から湧き上がる興奮を感じます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました