今回の調査結果を箇条書きしていきます。
詳細を書く必要のあるものは別途記事を作成していきます。
調査ノートに記述した順に書いており、時系列は気にしていませんので悪しからず。
1951年
福山競馬
1951年3月の福山競馬の広告によると、写真判定を導入したとのこと
3月27日の第9レースの駈歩丁一級レースにて、本命視されていたイブキヤマとミリオンドーターが揃って馬券圏外になり、1着ミスニユーイヤー2着ビツチユウフジヒメで決着
その結果、当時の福山競馬史上最高の複勝配当を更新(2着のビツチユウフジヒメが11040円)
連複も33450円の高配当で、件の複勝の的中は1名、連複の的中は7名
3月上旬に安川という騎手が出場しており、同時期に高知競馬を主戦に活躍していた同姓の女性騎手の可能性が高いと踏んでいたが、福山競馬にて女性騎手が初めて出場したのが4月28日ということが判明したため別の安川騎手だった可能性が高くなった
福山の女性騎手競走
4月28日からの開催にて初めて実施。
当時の競馬は開催の3日前から出走馬の馬体・能力審査が行われ、その2日目の26日には今回出場する女性騎手7名が各々の勝負服をまといお披露目された。
前人気は上々だったと報じられている。
紙面ではその内の1名が勝負服を着た状態で馬に騎乗している写真が掲載されているが、胴二本輪で袖と同色、胴自体は赤などの濃い色と思しき勝負服だった。
福山の女性騎手競走は駈歩で毎日1レース行われ、呼び物として好評だったようで馬券の売上は上々。
さすがに雨模様だった最初の2日間こそ低調気味だったが、約560万円の売上。
3日目に380万円、4日目には460万円。
この460万円は当時の売上レコードだったそう。
これに気をよくしたか最終日の売上は600万円の強気の予想。
その約半年後の11月18日からの競馬でも女性騎手が同様の条件で出場とあり、このレースには現在は名古屋競馬で厩務員として活躍されている岡崎準元騎手の祖母叔母が出場した開催ということが判っている。
祖母ではなく叔母とのことでした。
情報提供ありがとうございます。
この開催の結果が一切不明だが、6日間で売上3000万円を見込んでいたようで、かなり強気であったことが伺える。
岡山競馬
岡山競馬の広告からいくつか判ったことを
福山で女性騎手競走を終えた後の5月20日からの岡山競馬の開催で女性騎手競走を実施するとの広告があり、この時代の女性騎手は巡業のようになっていた可能性がある
その開催では「市営二周年記念ダービー 操山皐月賞争奪大レース」が行われた
9月2日からの開催では「三歳馬特別レース」が行われた
10月7日からの開催では「農林大臣賞典 岡山ステークス」、「烏城菊花賞争奪 繋駕新設記念レース」が行われた
これらの開催については「岡山畜産便り」でも記事になっていた
なお岡山競馬の賞金総額は250万円に対し福山競馬の賞金総額は200万円と、やはり岡山競馬の方が人気を博していた様子
1960年
園田競馬と春木競馬の情報多数も、主に知りたいことが福山からの遠征騎手の情報のため夏期のみ調査
福山からの遠征騎手は、園田に上原・那俄性、春木に上原
この当時の園田のサラブレッドの強豪馬はヨシエー
春木では布施市長賞というレースを実施
このレースのみタイトルがあったのだが、そのせいでアラ系競走かサラ系競走かが判別できず
ただ他のレースでサラの競走が見当たらなかったので、もしかするとこのレースがサラの競走なのかもしれない
布施市長賞 1400m
4-1 950円
例によってリンク先の馬が同馬かは不明です
1961年
GWでも調査した年度だが改めて調査
1960年に春木でサラブレッドの競走は見当たらなかったが、この年はいくつか確認
園田には福山からの遠征騎手は那俄性、春木に桧山・上原・那俄性・井野口
別途記事に
1972年
後に福山に移籍する外山清彦騎手が4月21日園田競馬10レースでダイコクリユウに騎乗しデビュー
そのデビュー戦で初勝利
この年に兵庫県競馬で見かけた「陳」と「岩藤」の2名のみ全く心当たりのない騎手
情報をお待ちしております
当時の出走馬などの状況を別途記事に
1975年
後に福山に移籍する吉村孝志騎手が5月8日園田競馬6レースでタルミキクマサに騎乗しデビュー
結果は落馬競走中止
初勝利は同年6月8日の姫路競馬3レースのハナノドリームにて
第三回農林大臣賞典楠賞全日本アラブ優駿の記事にて、福山のカツラテスターと元福山のエルフオードについて言及有りこれについてはいずれ別途記事に
姫路競馬で行われた広峰賞の詳細を発見
勝ったのは上述の楠賞で3着だったトサテンプウ
これも別途記事に
1981年
高知競馬所属騎手が覚せい剤取締法違反で逮捕されたのをきっかけに、かねてより八百長の噂があったことから言及し自白
関与していた騎手・元騎手や暴力団関係者など総勢13名(内現役騎手7名)が逮捕され、その最中で暴力団組員が名義を借りて競走馬を所有していたことも判明
当時18名の所属騎手だったところ7名が騎乗できなくなり、他場から応援騎乗を募り福山から5名、荒尾から3名、佐賀から2名、名古屋から1名の応援騎手を確保
またこれをきっかけに高知競馬に移籍した騎手が多数いることが判明詳細は別途記事に
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