1968年の荒尾競馬

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過去に荒尾競馬での事件を調査した際の副産物をまとめあげ、可能な限り詳細に情報を付け加えたもの。
なお、全ての開催日を調べてはおらず(この年の調査対象は11月)、新聞の誤植は可能な限り排除したが判断に困るものはそのまま掲載。
競走馬のリンクは誤っているものも含まれる。

事件については以下の記事にて紹介。

1969年 地方競馬初の八百長による開催自粛騒動となった荒尾競馬八百長事件
もうずいぶん前のことだが、偶然にも荒尾競馬で八百長事件があったことを他の調査の最中に発見したことがあった。 その記事には関わった騎手数名の実名が記載されていたが、見覚えのない騎手でそれ以上の追跡をせず。 数年が経ち、継続して福山...

確認できている出場騎手

池田及也清田政雄田中正己中島久人堀部重昭
井上直生?草野巧手島豊中原邦正前田譲二
岩田真砂雄黒木博文戸浦良雄椰野誠司桝野
岩本正清合林繁利戸川吉和畠中功森平武義
浦川照治鮫島勉徳永英治蛭川良政?山内健二
江島松二下田泰広徳吉光雄福岡利雄山田謙二
遠田茂樹白坂正人中尾信一藤川義行?山田武義
鐘ヶ江孝晴鋤田中川辰彦藤田広美?山田安夫
岸川勝義?高砂哲二

基本的に苗字のみ掲載で、同姓がいれば一部名を掲載。
当時の様々な資料から可能な限り名前を補完したが、確信に至らしめない部分もある。

「鋤田」は嵩と久のいずれかが同定できず、「桝野」は「椰野」の誤植の可能性が高い。

この当時の九州地区は各場で騎乗可能であったようだが、佐賀と荒尾は開催日を被らないようにしており、佐賀で騎乗する面々の大半が荒尾でも騎乗している。
一方で中津は佐賀や荒尾と開催が被ることがあり、その場合は主戦場を中津としていると推測される騎手の名がなくなる。
なお、中津については競走成績のみ紙面に掲載のため騎手名が確認できない。

出走馬

アオイヒカリサイコウシンチクゴヤマトブリツカホマレ
アゲシオサガアズマチクシヒメフルムーン
アサクライチサガハヤフサチドリキングフレンドオー
アサマヤマサガヒノデチビタローフロリスセント
アズマチツプサガフジチヨノホマレベイズクラツプ
アズマハタサキイチツネリユウヘイワオー
アラオオーザササロツクツルトミベンハー
アラオヒカリサダヒカリテツチドリホウシユウザクラ
イエヒカリサツパーライトテツリユウオーホウトク
イエミツサニーランドテツローオホシイズミ
イサミボーイサンセイトキノオーミヤホワイトクイン
イスフレンドサンダウナーズトキノハツピーホークライト
イチタケヒメサンヨーニシキトキノハルボーレスキング
イマハクリユウサーフイントサカリムホールインホマレ
インスタロウシゲヒロトサハママサツバサ
ウイザオーシズボシトシカツマサミツオー
ウインラインシヤインローズトシツバメマサタカライト
ウルオイジヤンラツシートツプヒツトマツウラヒメ
エイミノルジユントツプフアイターマツスイ
エポツクベニヤシユンメイオートムオーセイマツスイセイ
オオシマヒカリシントマサハルナカツタイヨウマヒカリ
オバナヒメシンハツカゼオーナカノラインマリオンフレーム
オーアソヒカリシーザチカラナニワマーベルニセイ
オーザニツコースイカイホープナニワミネカゼミイカツプ
オータクススイゲンナニワラツクスミスアラオ
カーゼツトスズハヤナミハナミスシユンゲツ
カオルフタスタツクメリーナンクンミスタイメイ
カオルフタバステーツベルニチカブトミスタカラヤマ
カクユウスピードヒロノボリツルミストミコ
カゲヒメスペシアルメリーハクエイホマレミストーコン
カチクラヤマセントベルハクコウチカラミスニツコー
カツセフトセントレジヤーハクバイミスハツキ
カツヨホマレセントラルハクハヤミスマルヘイ
カミノニシキセントローレンハシマタカラミナミドウター
キカクヒメソシユウホマレハジメキングミヤコヒサミツ
キクノカオリダイイチカツツバサハチメンザンミヤジダケ
キツコウザンダイイチギンスイハツコウトモエミヤジヨオー
キビホマレダイイチダイタンハツコートツプミヨウリユウ
キボホマレダイイチバルダハナシラタエミヨサチ
ギヤラントダイイチヒーローバルカンミリオネア
キユウシユウハウスダイカンボウハルヒメムラクニ
ギヨウセイダイコウタハルホマレメイカツプ
キヨラクオーダイサンウメサカエヒカリホマレメイラン
キングシーメーダイサンフクマサヒゴエイトメイロツク
キングハヤテダイサンホマレヒサオマツメリフク
クインカントウダイサンマサミヤヒゼンツルヤバケイヒカリ
クインスタツクダイニキンザンビシヤマルヤマキク
クインスタツフダイニキンセイヒフミライトヤマセイ
クインムスメダイニタキヒメヒメアズマヤマトエリー
クマフジダイニハヤアズマヒメワカヤマノオーザ
クモヤングダイニリユウゲンヒユウガイナズマヤングセブン
グラバーレデイタイホウホマレヒユガカツプユウト
グランドトツプダイホースビユーテイーエコーヨウヤニシキ
クリホープダイマーベルヒルトンライジングウヒメ
ケンボウザンダイヨシノヒロギミライト
ケンロクタローダイヨンキリンオーヒロノワンラスホマレ
コガネホープタカチヨエイヒロフサラツキーヒカリ
ゴシーユンタカチヨオイフオレトスランドスター
コダマニシキタカトミオーフクヤカリトルキング
ゴーシユンタキノオフジデンコウリバーサイダー
ゴーリキザンタツフジオーフジノチカラリーデングフアスト
ゴールドフインガータバラオーフジフブキロツクメリー
ゴールホープタマカネフブキオーロングライフホース
ザ・プリンスタラツプオーブランドキングローンウルフ
ザ・マンチクゴキング

誤植と断定できなかった馬名は全て掲載する。
この時代は九州各地で出走しており、現在の南関東地区と同様なものと考えられる。
ナカツタイヨウは翌1969年には福山で出走している。
4月27日にはC7組ニとほぼ最下級での出走。

ザ・マンは中央登録名ギンガ。
中央では登録だけで出走はしていない様子だった。

ザ・マンの昭和44年度成績

競馬場年月日レース番号天候馬場状態距離着順タイム斤量賞金
佐賀1969/4/571,3001/71.28.65560000
佐賀1969/10/1261,3007/71.31.9550
佐賀1969/10/1941,3007/71.31.1550
佐賀1969/10/2641,3004/81.29.15511200
佐賀1969/11/151,3001/81.27.65543000
荒尾1969/11/791,4003/81.37.95515000
荒尾1969/11/1491,4005/71.37.8555500
荒尾1969/11/219不良1,4007/81.36.8550
佐賀1969/12/571,3007/71.28.8550
佐賀1970/1/451,3003/71.27.75516500
佐賀1970/1/1761,3003/81.28.85517100
佐賀1970/1/2551,3003/91.27.75510500
佐賀1970/2/85不良1,3007/81.30.4550

ボーレスキングについて

ボーレスキングは関西、北海道、南関東、JBISのページから益田競馬に出走していたことが分かっていたが、荒尾競馬にも出走していたことが知れたのは大きな副産物であった。

同馬が荒尾競馬に出走していたのは1968年11月1日の第11競走B級1400m

1スイカイホープ55鮫島勉
2ナミハナ55白坂正人
3ボーレスキング55中島久人
4ハジメキング55戸浦良雄
5ギヨウセイ55黒木博文
6サンレモ55山田武義
7ゴールドフインガー55白坂正人
8インスタロウ55合林繁利

白坂騎手が2回出てくるように、当時の紙面は誤植が非常に多い。
ボーレスキングの名を見たのはこの競走だけ、更に複写した紙面を見返して気付いたもので、成績は未確認。
直前には益田競馬で出場していることから、おそらくこの競走が荒尾競馬での初陣であろう。
なお、ボーレスキングは1966年2月に園田の障害競走に75kgを、1967年2月に春木競馬の春木大障害に64kgを背負って出走していること、昭和43年度中に登録が抹消されていることが判っている。

当時のA級競走

1968年7月5日 A級1400m

1テツチドリ54下田泰広
2ダイニハヤアズマ54山田謙二
3ゴーリキザン55田中正己
4ザ・プリンス55手島豊
5ウインライン55山田安夫
6サキイチ55山田武義
7ダイニキンザン55池田及也
8クモヤング54中原邦正

後述のA級競走と比べて負担重量が軽く、また副題がないことから少し格が下の競走と推測する。

テツチドリは翌69年の佐賀競馬場での花吹雪賞を優勝、またザ・プリンスは翌年秋には佐賀のトップと思しき天山競走に出走している。
ダイニハヤアズマの産駒トスオープンは1970年に産まれ、現在の鳥栖市内に佐賀競馬場が移転した時に旧3歳となることから、鳥栖の競馬場が始まることに関連付けて名付けられたのかもしれない。
クモヤングの全弟のタカラカツは、JBIS上では中央抹消のタカラカツと地方抹消のタカラカツの2頭が重複して存在する。
その内の中央抹消のタカラカツのみアラブ血量20.34%と表記されているが、これは2.34%の誤植。

1968年11月10日 市長賞特別A級1500m

1ダイイチダイタン58前田譲二
2ナニワ57鋤田
3カクユウ57井上直生?
4チヨノホマレ54藤川義行?
5アズマチツプ57合林繁利
6ミリオネア57黒木博文
7ゴーシユン57遠田茂樹

さすがにA級ともなるとJBISにページがある競走馬が多く占める。
ダイイチダイタン(旧名ダイタン)はこの後、年明けの中津競馬の農林大臣賞典を優勝。
ナニワはダイイチダイタンが優勝する農林大臣賞典で2着。
チヨノホマレは直前の10月27日に佐賀競馬で行われたA級競走(天山賞2300m)にも出走。
アズマチツプは1966年の栄城賞2着馬。
ミリオネアは先述のボーレスキングが2着になった益田競馬の地全協会長賞の優勝馬。
なお、ミリオネアは翌年度の競走馬登録がなく、当年度で登録を抹消されているようだ。

ナニワの昭和44年度成績

競馬場年月日レース番号天候馬場状態距離着順タイム斤量賞金
中津1969/4/13101,6503/41.50.65555000
中津1969/4/27111,6505/71.52.25526000
中津1969/5/3111,3003/51.26.45515000
中津1969/5/1711不良1,3005/71.27.255.57000
中津1969/8/15111,3002/41.29.75430000
中津1969/9/6111,3004/71.28.65510000
中津1969/9/14101,7503/52.00.85433000
中津1969/9/21111,3007/71.34.3556000
中津1970/1/24111,3006/71.33.8552500
中津1970/3/158小雨稍重1,3008/91.32.2552500
中津1970/3/2271,3005/81.30.5564500

5月17日は既定の重量で騎手が乗れず+0.5、9月6日も同様で+1.0で出走。

発売成績

11月9日 入場者784人 売上20,723,400円
11月10日 入場者1,032人 売上22,955,300円
11月11日 入場者864人 売上19,317,700円

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