荒尾競馬での事件を調査した時の副産物のうちの佐賀競馬に関する部分をピックアップし、詳細を少し付加。
当時のオープン競走での斤量が70kgに迫る出走馬を見かけた開催日を中心に複写した。
出走馬が荒尾よりも多いため、荒尾を中心に調べていた割には情報が多い。
出走馬は明らかに誤植と思われるもの以外は全て記載した。
また、競走馬のリンクは誤っていると思しきものも含まれる。


確認できている出場騎手
池田及也 | 鐘ヶ江孝晴 | 下田泰広 | 中川辰彦 | 山田武義 |
岩本正清 | 神牟礼幸一 | 田中正己 | 中原邦正 | 山田安夫 |
浦川照治 | 清田政雄 | 手島豊 | 蛭川良政 | |
江島松二 | 草野巧 | 徳吉義己 | 福岡利雄 | |
大久保千治 | 鮫島勉 | 中尾信一 | 山田謙二 |
佐賀で騎乗している騎手は荒尾でもその名を見た騎手が多い。
一方で佐賀でしか見かけていない騎手が、大久保千治・徳吉義己・神牟礼幸一の3名。
神牟礼幸一については1968年が16歳になる年(1952年1月1日生まれ)で、デビューして間がなく、佐賀でしか騎乗できない免許だったと推測する。
他の2名は調査対象期間にたまたま騎乗がなかったか、騎乗資格はあっても乗っていないか、何らかの理由で佐賀のみの制限があったかと思われる。
出走馬
オータツの繁殖馬としての実績がおかしい(自身の産まれる前の年の産駒がいる)のは、オータツ違いの別馬を引っ張ってしまっているのだろう。
そして偶然とはいえ、間違って引っ張ってきた馬の中に後述するミスマサコとは別のミスマサコがいるのは何の因果か。
ダイニカツフジは母がダイサンカツフジ、母母がダイゴカツフジと遡るごとに数字が大きくなっている。
トミノハナは高知で繁殖馬になったようだ。
プリンスの母はユウコウ、これは福山でおなじみのユウコウオンブルやユウコウサクセスの母でもあり、プリンスはユウコウオンブルの16歳上の兄ということになる。
当時のA級競走
1968年10月6日 A級1800m
1968年10月27日 天山賞(県会議長賞)A級2300m
この時代は馬名の変更ができたことから、表記のまま馬名検索をしても該当馬に到達できないことが度々ある。
上記の中ではロイヤルナイトとゴウカイオーがそれにあたる。
ロイヤルナイトは旧馬名バンダルで、中央時代の1963年には愛知盃を、地方移籍の翌64年は名古屋で東海桜花賞、笠松で農林大臣賞典を優勝。
その後南関東へ移籍した際にロイヤルナイトと改名し、同年のNTV盃、東京オリンピック特別を制する大活躍を見せた。
1967年にも南関東での重賞3着があり、長く南関東で活躍した後、おそらくは定年制により南関東で走れなくなり佐賀へやってきたようだ。
ゴウカイオーは中央時代はゴウカイの名で活躍。1963年の阪急杯、64年の鳴尾記念と京都記念を優勝。また63年の愛知盃ではバンダルの3着に入り、その約一月前の宝塚記念では4着と活躍。
おそらく南関東転入時にゴウカイと名を改め、1966年の東京大賞典を優勝し、その年の公営日本一に選出された。
余談ではあるが、JBISでは63年2月24日の中京競馬場の特ハン80万以下で優勝、2着にナニワとなっているが、これは正しくない。
正確にはナニワはその1つ前の競走「四歳中距離特別」を優勝しており、JBISのデータベースで何らかの取り違えが起きている様子。
ナニワは1968年の荒尾競馬でも取り上げたように、同じ時代に九州地区で走っており、またナニワの優勝した四歳中距離特別の2着馬ミスマサコは次走で桜花賞(単勝配当5,730円は2023年現在でも桜花賞の単勝最高配当記録)を優勝している。
これまでの収得賞金で斤量が決まるのであれば、ゴウカイオー68kg、ロイヤルナイト61kgのハンデは納得ができる。
しかしチトセデバルがロイヤルナイトに次ぐ60kgの斤量となっており、過去の実績と近走の成績を総合的に勘案して決定しているのかもしれない。
チトセデバルは中央時には未勝利戦を1勝したのみで67年中に地方へ移籍、そして地方でも大きなレースを勝っている様子が見られない。
それでも上記2レースとも本命印は同馬であり、この当時の活躍ぶりはかつての実績馬に引けを取らないものということであろうか。
レースの結果を控えていなかったことが悔やまれる。
アトランタは1967年10月に春木競馬のオープン競走を優勝した記録が残っている。
アトランタは繁殖に入ったのち、重賞を勝つような活躍馬はおらずともその血は近年まで受け継がれていた。
発売成績
10月5日 売上31,956,200円
10月12日 売上34,463,800円
10月26日 売上31,472,700円
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