1968年の佐賀競馬

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荒尾競馬での事件を調査した時の副産物のうちの佐賀競馬に関する部分をピックアップし、詳細を少し付加。
当時のオープン競走での斤量が70kgに迫る出走馬を見かけた開催日を中心に複写した。
出走馬が荒尾よりも多いため、荒尾を中心に調べていた割には情報が多い。
出走馬は明らかに誤植と思われるもの以外は全て記載した。
また、競走馬のリンクは誤っていると思しきものも含まれる。

1969年 地方競馬初の八百長による開催自粛騒動となった荒尾競馬八百長事件
もうずいぶん前のことだが、偶然にも荒尾競馬で八百長事件があったことを他の調査の最中に発見したことがあった。 その記事には関わった騎手数名の実名が記載されていたが、見覚えのない騎手でそれ以上の追跡をせず。 数年が経ち、継続して福山...
1968年の荒尾競馬
過去に荒尾競馬での事件を調査した際の副産物をまとめあげ、可能な限り詳細に情報を付け加えたもの。 なお、全ての開催日を調べてはおらず(この年の調査対象は11月)、新聞の誤植は可能な限り排除したが判断に困るものはそのまま掲載。 競走馬のリン...

確認できている出場騎手

池田及也鐘ヶ江孝晴下田泰広中川辰彦山田武義
岩本正清神牟礼幸一田中正己中原邦正山田安夫
浦川照治清田政雄手島豊蛭川良政
江島松二草野巧徳吉義己福岡利雄
大久保千治鮫島勉中尾信一山田謙二

佐賀で騎乗している騎手は荒尾でもその名を見た騎手が多い。
一方で佐賀でしか見かけていない騎手が、大久保千治・徳吉義己・神牟礼幸一の3名。
神牟礼幸一については1968年が16歳になる年(1952年1月1日生まれ)で、デビューして間がなく、佐賀でしか騎乗できない免許だったと推測する。
他の2名は調査対象期間にたまたま騎乗がなかったか、騎乗資格はあっても乗っていないか、何らかの理由で佐賀のみの制限があったかと思われる。

出走馬

アキラサカエスイホウチクシジローフジヘビー
アダムサガカミカゼチクシヒメプリンケブス
アトランタサガカンセイチトセデバルプリンス
アニマルサガニユーヒカリチヨノホマレフレンドオー
アマノクインサガハヤフサツキイシベイズクラツプ
アヤツバササガフジツキインホウトク
アリアケオーサガマリーテツセイユウボウトヒメ
アリアケヒメサガミヤマテツノウメホースランニング
イサミボーイサガロツクテツワカオーホーマンオー
イシザキサチナミテンザンボーライン
イタミコウジサチノオーザトウカイドウホールインエビス
イチハヤマサルサチノコトブキトキサンホールリリー
イチミボーイサチハヤトキツオーホシイズミ
イチロウクンサチバラトキノキングホシカブト
イブキユウサツキバーラムトキノシヨウグンホツカイバーラム
イブクインサツマトキツトクセイユウホツカイホマレ
イワトミサニージヨウトクドンホマレキング
ウインザーサニーランドトクヒロボラーイン
ウインラインサラトガヒメトサハマボレロ
エイキーサワミツトツプオーカワマーキユリー
エーヂスサンダーバードトツプハイネスマイロツト
エーラインシキミノルトツポハイネソマシマヒメ
エデントツプシゲイサミトミクインマスターホース
エリオツトジヨーシゲイサムトミノハナマヘフジ
オーアソノニシゲオトコトモヒカリマルクイン
オータツシブシフジトモミツマンフル
オーテフジジヤンダツキトヨリユウミイカツプ
オーテンフジジヨウサイトラサンミキノツバサ
オパールヒメジヨークラウンナイトニシキミクサブエ
カイカエンシラキヒメナガトクインミサイルホース
カイシヨウシンサカエナカノラインミスターキリー
カイセンカクシンランナナフクミスターホース
カゲヒメスエミノルナンクンミスタマガワ
カチガラススパイダーホースニノサキミスチイフ
カチナミスピードヒロニユーミラクルミステンマ
カツイサミスピードロイヤルニユーメイジミスナガト
カツヒデスモールヒメネガイボシミスパイオニアー
カツヤヒメセイコスターネベルーズミスビクトリー
カツラハナセイシユンノボリツルミスヒロコ
カブトジヨーセントハードウメミスヘレン
カミノニシキセントラルパールダイヤミスメンデル
カリマタオーセントローレンハクツルニセイミナミタカ
キククヒメダイイチエイザンハクリユウヒメミヤコカネヒサ
キクチヨダイイチクレトオハタテツソミヤコヒサミツ
キユウシユウハウスダイイチスウパーハタモンドミヤシロ
キングサカエダイイチセイヤハツコウオームーンフラワー
キングハヤテダイイチヒメジハツコダマムラコソ
キントウウンダイイチフジタカラハツピーダイヤムラセイ
クインカントウダイイチヤマトハマノツルメイピツト
クインリバーダイコウタハヤミツメジロイワイ
クサバダイサンカブトハルサクラヤマキク
クモワカダイニアリアケハルヒメヤマサヒカル
グランドスピーダイニウメサカエビーバーホースヤマチドリ
クルメネオンダイニオーザーヒエンヒカリヤマニンクイン
クルメヤスダイニカツフジヒカルロツクヨシムスメ
クルメワカクサダイニキリシマヒゴオーカツライクリ
クレーバホースダイニキンセイヒゴオトコライジンイブキ
ゲイルキングダイニスーパーヒゴパールラツキーフオード
ゲーリーオーダイニマコトヒゴロツクワイラツシー
ゲキリユウオーダイバンテンボシヒゼンウメサカエリキスルガ
ゲリーリユウダイヨシノヒゼンサツキリバーサイダー
ゲンホウダイヨンホマレオーヒゼンツルリユーカゼ
ゴウカイオータイロウヒバリリユウカツ
ゴールケンダイロクマルゼンビユーテイーエコーリリアン
ゴールデンウイクタカギヒメヒユガニツコウレイチヨウ
ゴールデンホウクタカフオードヒロフサレイモンドフジ
コザカエタカミツルビンビエンレツドクイン
コマドリタカヤマフオードアローレツドフイン
コリユーホープタチクモフクオカシゲカツロイヤルナイト
ゴワシエルタツフジオーフクノコエロツクメリー
ザ・プリンスタツモリフクマーベルワカアズマ
サーテンスタータマイサミフクメジロワカクモ
サオトメタマヒメフゲンリユウワカト
サガアズマチグゴヤマトフジデンコウワタズミ

オータツの繁殖馬としての実績がおかしい(自身の産まれる前の年の産駒がいる)のは、オータツ違いの別馬を引っ張ってしまっているのだろう。
そして偶然とはいえ、間違って引っ張ってきた馬の中に後述するミスマサコとは別のミスマサコがいるのは何の因果か。

ダイニカツフジは母がダイサンカツフジ、母母がダイゴカツフジと遡るごとに数字が大きくなっている。

トミノハナは高知で繁殖馬になったようだ。

プリンスの母はユウコウ、これは福山でおなじみのユウコウオンブルやユウコウサクセスの母でもあり、プリンスはユウコウオンブルの16歳上の兄ということになる。

当時のA級競走

1968年10月6日 A級1800m

1ロイヤルナイト61草野巧
2ゴウカイオー68鐘ヶ江孝晴
3ダイサンカブト56福岡利雄
4チトセデバル60鮫島勉

1968年10月27日 天山賞(県会議長賞)A級2300m

1チヨノホマレ54山田武義
2ダイサンカブト56福岡利雄
3アトランタ57下田泰広
4ロイヤルナイト61草野巧
5チトセデバル60鮫島勉
6ゴウカイオー68鐘ヶ江孝晴

この時代は馬名の変更ができたことから、表記のまま馬名検索をしても該当馬に到達できないことが度々ある。
上記の中ではロイヤルナイトとゴウカイオーがそれにあたる。

ロイヤルナイトは旧馬名バンダルで、中央時代の1963年には愛知盃を、地方移籍の翌64年は名古屋で東海桜花賞、笠松で農林大臣賞典を優勝。
その後南関東へ移籍した際にロイヤルナイトと改名し、同年のNTV盃、東京オリンピック特別を制する大活躍を見せた。
1967年にも南関東での重賞3着があり、長く南関東で活躍した後、おそらくは定年制により南関東で走れなくなり佐賀へやってきたようだ。

ゴウカイオーは中央時代はゴウカイの名で活躍。1963年の阪急杯、64年の鳴尾記念と京都記念を優勝。また63年の愛知盃ではバンダルの3着に入り、その約一月前の宝塚記念では4着と活躍。
おそらく南関東転入時にゴウカイと名を改め、1966年の東京大賞典を優勝し、その年の公営日本一に選出された。
余談ではあるが、JBISでは63年2月24日の中京競馬場の特ハン80万以下で優勝、2着にナニワとなっているが、これは正しくない。
正確にはナニワはその1つ前の競走「四歳中距離特別」を優勝しており、JBISのデータベースで何らかの取り違えが起きている様子。
ナニワは1968年の荒尾競馬でも取り上げたように、同じ時代に九州地区で走っており、またナニワの優勝した四歳中距離特別の2着馬ミスマサコは次走で桜花賞(単勝配当5,730円は2023年現在でも桜花賞の単勝最高配当記録)を優勝している。

これまでの収得賞金で斤量が決まるのであれば、ゴウカイオー68kg、ロイヤルナイト61kgのハンデは納得ができる。
しかしチトセデバルがロイヤルナイトに次ぐ60kgの斤量となっており、過去の実績と近走の成績を総合的に勘案して決定しているのかもしれない。
チトセデバルは中央時には未勝利戦を1勝したのみで67年中に地方へ移籍、そして地方でも大きなレースを勝っている様子が見られない。
それでも上記2レースとも本命印は同馬であり、この当時の活躍ぶりはかつての実績馬に引けを取らないものということであろうか。
レースの結果を控えていなかったことが悔やまれる。

なお、ゴウカイオーは翌年度には登録が抹消されている様子で、ロイヤルナイトは翌年度に2戦出走してともに最下位となり、以降の出走はなかった様子。

アトランタは1967年10月に春木競馬のオープン競走を優勝した記録が残っている。
アトランタは繁殖に入ったのち、重賞を勝つような活躍馬はおらずともその血は近年まで受け継がれていた。

ダイサンカブトは中央名タイコウオーザ、翌年は中津に移籍した様子。

ロイヤルナイトの昭和44年度成績

競馬場年月日レース番号天候馬場状態距離着順タイム斤量賞金
佐賀1969/4/13112,3006/62.38.8620
佐賀1969/5/11112,3006/62.43.6620

チトセデバルの昭和44年度成績

競馬場年月日レース番号天候馬場状態距離着順タイム斤量賞金
佐賀1969/6/8112,3008/83.03.3640
益田1969/8/31101,350失格560
益田1969/10/11101,3503/51.39.2567000

ダイサンカブトの昭和44年度成績

競馬場年月日レース番号天候馬場状態距離着順タイム斤量賞金
佐賀1969/4/13112,3003/62.36.757110000
佐賀1969/4/27112,3005/62.36.25760000
荒尾1969/6/21111,5006/71.38.85725000
荒尾1969/7/511不良1,5008/91.40.35725000
荒尾1969/7/13111,5007/81.38.15720000
荒尾1969/7/25111,5004/71.37.85740000
荒尾1969/8/3111,5001/61.37.657150000
荒尾1969/8/24111,5006/61.42.65725000
中津1969/9/14111,7005/62.00.45430000
中津1969/9/19111,7506/62.00.45530000
中津1969/9/21111,3004/71.29.35510000
中津1969/9/28101,3003/41.27.95520000
中津1969/10/11111,3008/81.29.7556000
荒尾1969/11/14111,5006/91.41.95520000
中津1969/12/8111,3002/71.29.65529000
中津1969/12/15111,7504/52.02.85516000
中津1970/1/4111,3005/71.31.9556000
中津1970/1/12111,7503/52.01.25524000
中津1970/1/19111,3007/81.30.0555000
中津1970/1/26111,7507/82.04.5558000
中津1970/3/1511小雨稍重1,3004/91.28.8556500
中津1970/3/21111,3005/81.27.8555500

発売成績

10月5日 売上31,956,200円
10月12日 売上34,463,800円
10月26日 売上31,472,700円

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