1960年の福山競馬をある程度調べたこともあり、翌1961年も少しの期間ではあるが調査を行った。
なお、この年のいくつかのレースについては翌年に八百長を企て実行したとして複数名が逮捕されている。
その件については調査途上ではあるが、詳細が分かれば記事にしたい。
現時点での調査は11月と12月の2か月のみ。
出走馬
アキアサカゼ | クラフト | タケカブト | フジライト |
アサタロウ | グリンソクサー | タケトモ | プラムライト |
アズマタイム | グリンライト | タケフオード | ヘレスカントー |
アヅマタイム | グレートリーブ | タツミライト | ホウシユウムスメ |
アリミツ | ケンブリツヂ | タマキヨ | ホウタイコウ |
イシヒメ | ゴールドライト | ツキザクラ | ホマレイチ |
イソアラシ | コマホマレ | ツルギフオード | マスターペツト |
イチカオル | サイコーテン | テルスガタ | マスラオ |
イチクモタケ | サインパーク | テルホマレ | マツカゼ |
イチクラウン | サケギミ | テルヨシ | マルゼンキング |
イチハタオー | サチギミ | テンチカラ | ミスアオバ |
イリアラシ | サチクラホマレ | テンポウ | ミスカチホマレ |
ヴイノー | サンラツキー | トウヨウイチ | ミストクヒメ |
ウエスタンキング | シユーピベアー | トキノオトコ | ミスパイオニア |
エーコー | スイセル | トキノチグサ | ミスバラツケー |
エバークイン | スミタケ | トサカブト | ミスホウシユウ |
エバーグリン | スーパーマン | トヨオー | ミスマツカゼ |
エムユー | セキイチ | ナンガパルパツト | ミツイチ |
オオタヒカリ | ソウリユウ | ナンコウ | ミナトホープ |
カーレントクイン | ダイイチナルミ | ナンバーイチバン | ミリオンネア |
カイシユウ | ダイカンセイ | ニシホマレ | ミワダテヒカリ |
カジツバキ | タイセイ | ハイホープ | メイトツプ |
カズイチ | タイセイウイナー | ハタカゼ | ヤシマ |
カツチカラ | ダイナナムーン | ハヤナミ | ユウシユン |
カツトモ | ダイナナローン | ハルナサン | ユニコーン |
カツハナ | ダイニキンポウ | ヒトトビ | ラスホマレ |
カツラツヨシ | ダイニクラオーギ | ヒメクモ | ラベンダー |
カミツバキ | タカサゴ | ヒヨゴヤエザクラ | レツクス |
キヨサチノボリ | タカチヨホマレ | ヒロミノル | ローズ |
キングオーザ | タカノウ | フエザン | ローヤルパーク |
クインアジヤ | タカノオー | フクイズミ | ワカバ |
クインチエリー | タカノフジ | フクスケ | |
クモノーナ | タカヤホマレ | フジセントルイス |
1960年の調査の本丸であったホマレイチはこの年にも出走しているが、前年までの勢いはなくなった様子が伺えた。
JBIS上の成績でも、前年までは金沢の重賞競走を席巻していたが、61年からはその様子が見られない。
現時点での調査でホマレイチの名を3回見かけ、それらは全て1着ではあったが、配当を見ると不動の本命とは言えないものであった。
11月5日 10R
1着ホマレイチ
2着ダイカンセイ
2-6 1730円
11月20日 10R
1着ホマレイチ
2着ダイカンセイ
4-6 870円
12月10日 8R
1着ホマレイチ
2着キングオーザ
4-6 4800円
11月5日と11月20日は2着馬が人気薄だった可能性があるが、12月10日の2着馬キングオーザはホマレイチと入れ替わるように金沢競馬で活躍し、この時点でキングオーザの方が優位に立っていたと思われる。
1961年8月20日のアサヒビール賞を1着、9月3日の北國王冠賞で2着、10月1日のMRO金賞で2着、10月15日の農林大臣賞典で優勝と、1961年の金沢競馬で主役級の活躍をした後の福山での出走であることを考えれば、12月10日のレースではかなり人気を集めたであろう。
それを負かせたホマレイチも当年の金沢競馬の東芝賞を68kgを背負って優勝しており、勢いという点でキングオーザに劣っているにしても、2頭での決着の配当が4800円の結果から、ホマレイチの人気があまりなかったと考えるのが妥当だろう。
翌1962年の金沢競馬でホマレイチは2戦するも共に大差のシンガリ負けで、その後は少なくとも金沢での出走はない。
また、もっとも活躍していた1960年時は騎手・馬主とも東森実であったが、1962年は騎手福島寿、馬主楠見政徳となっており、東森実の手を放れていることからも、この年には既にピークは越えていたのではないか。
そのホマレイチの連続2着となったダイカンセイ、そしてフクスケ、タイセイウイナー、ハルナサンも金沢競馬で活躍した。
ダイカンセイは1962年の福正宗賞を優勝、アサヒビール賞2着、三菱電機賞を3着。
フクスケは中央時代はドクレイの名で1958年の京都の4歳特別を優勝、また1957年の阪神3歳ステークスで5着の実績を残した後、金沢で1961年の皐月賞を福島寿騎手の鞍上で優勝(3着にホマレイチ)、百万石賞で2着、1963年の黒百合賞を優勝。
タイセイウイナーは金沢で1962年の皐月賞、地方競馬全国協会会長賞、三菱電機賞で3着。
ハルナサンは1959年に京都大障害を優勝、その後金沢で1961年の農林大臣賞典を福島寿騎手の鞍上で優勝、同年及び翌年の百万石賞で優勝、1962年の菊桜賞優勝、1961年の東芝賞でホマレイチの3着、翌1962年の東芝賞も3着。
エムユーはどこかで馬名を見かけたことがある気がするが思い出せず。
思い出し次第、ここへ追記する。
エムユーは1957年の第1回MRO金賞(MRO銀杯)の優勝馬。
グリンソクサーは1962年の金沢競馬で主にB級で勝利し、最終開催ではA2A3級で優勝と好調下で福山に移籍。
年明け63年の地方競馬全国協会会長賞でハルナサンの3着。
なおこのグリンソクサーという馬名は時にグリーンソクサーと表記されることもあり、この表記揺れのためどちらが正確な馬名か不明。
アサタロウは後年益田競馬で活躍するアサタロウとは別馬。
不正協定事件
1962年1月に八百長を企て実行したとして騎手等が逮捕される事件があり、その内の3競走については11月に行われたレースであった。
11月11日 4R
1着ハヤナミ
2着ダイニキンポウ
3-1 460円
11月13日 3R
1着ダイニキンポウ
2着イチハタオー
2-1 240円
その他、11月26日の第5競走でも同様のレースが行われたが、これら全てに飲食業Aが関与している。
11月11日のレースは直前に本命馬に騎乗していた騎手Bが、Aに3着以下になるから金をくれと条件を持ち出し数千円を収受した。
11月13日のレースはAと騎手Cが、騎手DとEにAの購入した馬券のとおりにレースを行うように指示をし、200,640円の配当を得た。
また無職FもAとCの企図に乗り、7,200円の配当を得た。
11月26日のレースはAとDが共謀し、200,960円の配当を得た。
あまり大きな記事になっておらず、その後が不明なこともあるが、上記の者たちが逮捕された以降、別のレースで同様の理由で逮捕された騎手が後に調教師となっていることから、全てが関与禁止になったという訳ではなさそうではある。
発売成績
呉市営
11月3日 3,780,900円
11月4日 3,904,200円
11月5日 6,187,100円
11月11日 4,154,600円
11月12日 6,053,400円
11月13日 4,651,000円
福山市営
11月19日 5,031,400円
11月20日 3,872,000円
11月23日 4,585,200円
11月24日 3,970,500円
11月25日 3,724,300円
11月26日 5,688,800円
広島県営
12月1日 3,520,700円
12月2日 4,468,600円
12月3日 6,334,200円
12月9日 4,135,500円
12月10日 5,841,400円
12月11日 5,692,600円
比較として11月3日の児島競艇の発売成績は7,688,800円。
コメント