福山競馬は1949年9月18日に初開催(広島競馬の第二競馬場時代を除く)。
これまでも初開催時の記録を探していて、やっとのことで初開催初日の結果表の一部の閲覧ができたのが今年の3月。
それ以降も国会図書館に連休を利用して計4回、昔の情報を求めて出向いたものの福山競馬についての情報があまり得られていなかったのはこれまでの更新を見ていただければお分かりいただけるだろう。
完全に手詰まりだと思っていたが、思わぬところで求めていた資料に出会い、全てではないにしても詳細な情報が手に入ったので記録をまとめ公開する。
確認できている出場騎手
大瀬戸 | 美馬 | 世良幸 | 岡田 | 濱田 |
中津 | 藤井 | 清水 | 吉川 | 寺尾忠市 |
大戸 | 新迫 | 世良利 | 沖田 | 岩井 |
岡田誠 | 十倉 | 吉野 | 成松 | 大澤 |
岡野 | 千同 | 奥田 | 松尾 | 片岡 |
小松原 | 今田 | 小西 | 上原 | 芳村 |
松田 | 福島 | 信政則登 | 谷原徳三 | 石岡 |
関 | 森川 | 重丸 | 浜中 | 西村 |
今出 | 上別府 | 水上 | 末廣 | 石橋 |
安部 | 平岡 | 金丸? | 福原 | 後藤 |
篠原 | 木上 | 奥村 | 瀬良 | 高橋 |
渡邉 | 根岩 | 槌田 | 塩尻 | 澁谷 |
松山 |
施行距離
駈歩 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
1000m | 1200m | 1350m | 1500m | 1600m | 1800m | 2000m | 2200m |
速歩 | |||||||
2200m | 2400m | 2600m | 2800m | 3400m |
駈歩2400mというレースも確認したが、格式の高いレースではなかったので速歩の誤植として処理。
出走馬
速歩
速歩 | |||||
---|---|---|---|---|---|
クモギリ | ダイニマルヤマ | ヤマアラシ | アキミドリ | ミヤフク | キンザン |
コマウジ | マメサクラ | フジコマ | ダイイチアサヒ | ダイニフジ | ビゼンハヤブサ |
リリー | カメジ | タチバナ | ダイニハヤタケ | バンプク | シヤインホース |
ヨルダン | キンカハツカゼ | ホーシン | アヅマ | タチヤマ | ダイイチツルヒメ |
ルビー | リユウ | カネヒカリ | マツキン | バンリユウ | |
シユンコー | オオイシ | マサトモ | マツフジ | エヒメフジ |
駈歩
駈歩 | |||||
---|---|---|---|---|---|
コーライ | マルミツ | シンシヨウ | ラツキーフクヤマ | ヒカリ | イブキヤマ |
アルアン | カツヨウ | ヒサタエ | ケンコー | トム | ハヤフジ |
シラギク | ダイニキクヒメ | ハヤヒメ | カモススム | ホウシヨウ | ダイニテツサクラ |
カチドキ | カチモア | ホシ | ヒデヒカリ | マツウラヒメ | ミノヒカリ |
ワカタケ | イロハ | リツサカエ | チヨヤヨイ | サヨヒメ | タマリユウ |
ダイニハヤブサ | ハルシマ | イブンミナト | ダイニツジ | ローズダケ | チカラ |
スタードン | セイカイ | コガネヤマ | ダイニカイザン | モモタロウ | ビンゴコンドル |
サトヒメ | アサハヤカゼ | キンエイ | ハルミツ | アライソ | ハルヒカリ |
ペサールノ三 |
完成式
1949年9月15日午後2時より、福山競馬場の完成式ならびに馬頭観音の開眼式を挙行。
なお競馬場建設等の工費は1000万円で、請負は山陽土建会社。
3日後に初開催初日を迎えるにあたり、出場する人馬の詳細が判明。
中四国はもちろん、大阪・奈良・岐阜から計250頭が出場。
福山競馬史上最初?の賞典レース
9月19日に行われた「市営競馬場開場記念賞典」がおそらく福山競馬史上最初の賞典レースだと思われる。
市営競馬場開場記念賞典 2000m
着順 | 馬名 | 騎手 | 賞金(円) |
---|---|---|---|
1 | モモタロウ | 福島? | 80000 |
2 | ハツタカ | 50000 | |
3 | ギンバ | 20000 | |
4 | ビツチユウフジヒメ | 10000 |
単勝19円 複勝 13円 16円 連単111円(全て10円券)
1949年当時で地方競馬の1着賞金8万円は破格と言って過言ではない。
たとえばアラブの名馬タマツバキが1949年11月19日に京都競馬で優勝した際の1着賞金が8万円であり、国営競馬の一定よりも格が上のレースの1着賞金と同等であることを引き合いに出せば、その賞金額が破格であることがお分かりいただけるだろう。
1949年9月23日 福山競馬4日目 競走番組と1着賞金
1レース
2200m 速歩競走
1着賞金3000円
2レース
1000m 駈歩競走
1着賞金3500円
3レース
距離不明 速歩競走
1着賞金3500円
4レース
2400m 駈歩競走
1着賞金3500円
5レース
1200m 駈歩競走
1着賞金3800円
6レース
1200m 駈歩競走
1着賞金3800円
7レース
県知事賞 3400m 速歩競走
1着賞金50000円
8レース
市議長賞 1500m 駈歩競走
1着賞金30000円
9レース
市長賞 1600m 駈歩競走
1着賞金60000円
10レース
1200m 駈歩競走
1着賞金4500円
11レース
1200m 駈歩競走
1着賞金5000円
12レース
1200m 駈歩競走
1着賞金5000円
福山競馬初開催の売上など
第1回福山市営福山競馬 開催売上 | |
---|---|
1日目 | 241万円 |
2日目 | 250万円 |
3日目 | 245万円 |
4日目 | 494万円 |
5日目 | 443万円 |
6日目 | 574万円 |
なおこの売上を総合すると2247万円であるが、2247万3340円と詳細を伝えているものがある。
この総売上は「関西一」や「中国地方でかつてない売行き」と言われるレコードとのことだが、真偽は不明。
多くの人を呼んだこの初開催で、競馬自体はもちろんバス会社や自転車預り所、近隣の飲食店も競馬景気の恩恵を多大に受けた。
入場人員は詳細不明だが、備後東部の電休日で工場が全て休日となった開催4日目が3日目同様に3万余りのファンが殺到したと報じられている。
しかし公式のものと照らし合わせるとそのような事実がなかった様子。
この盛況ぶりに呉市も競馬開催を行いたいと申し出があり、競馬場使用料30万円・場内器具使用料20万円を1開催ごとに支払うことを条件に受諾。
特記事項
10月20日2レース 2082円の大穴
1着に末廣騎手鞍上のハルシマが入り、単勝130円、連単は2082円(共に10円券)の結果
11月21日1レース 4177円の大穴
1着に松山騎手鞍上のキンカハツカゼが入り、単勝87円、連単は4177円(共に10円券)の結果
11月21日8レース 見事な接戦に敢闘賞
1着に奥田騎手、2着に重丸騎手が入ったが、見事な接戦だったため市長から2名に敢闘賞が贈られた
11月24日4レース 3頭の落馬事故
1200m駈歩競走にて、谷原徳三騎手鞍上のチヨヤヨイが4コーナーで転倒し、後続の信政則登騎手鞍上のダイニツジ、寺尾忠市騎手鞍上のローズダケが相次いで落馬
谷原騎手は胸部鎖骨骨折、信政騎手は頭部挫傷、寺尾騎手は頭部打撲傷を負った
11月24日9レース 福山市長賞 駈歩2200m
着順 | 馬名 | 騎手 | 賞金(円) |
---|---|---|---|
1 | モモタロウ | 福島 | 60000 |
2 | イブキヤマ | 上原 | 25000 |
単勝10円 複勝10円 15円 連単25円
前述の「福山競馬史上最初の賞典競走」でもモモタロウが1着だったように、この時代は岡山のモモタロウが非常に強かった様子
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