今回の調査結果を箇条書きしていきます。
詳細を書く必要のあるものは別途記事を作成していきます。
調査ノートに記述した順に書いており、時系列は気にしていませんので悪しからず。
競週地方競馬 S43
1月号
春木競馬で行われた地方競馬全国協会長賞の勝ち馬の馬主名が小松原
この小松原という姓は岡山競馬で見かけたことがあるので、もしかすると何か関係があるかもしれない
2月号
宇都宮競馬1968年1月7日10レースにベンケーオーザ(記載はベンケイオーザ)が登録
寺田一夫騎手の所属が船橋(木村万吉厩舎)で、川崎ではなかった
前回の調査は見間違いか移籍かは調べず
3月号
1967年の福山競馬リーディングは東森實で勝率は30.8%
東北2区の伊藤一雄騎手が勝率38.3%でおそらく東森騎手は全国2位の勝率(東北2区の2位以下を加味せず、騎乗回数が少ない騎手の勝率はないものとして)
この全国各地区の表彰騎手は別途記事に
大谷豊助氏が優秀厩務員に
大谷氏は1948年に山口県小月競馬で見習い騎手となったのが最初のキャリア
大沢仲造氏も同様
1946年に川崎競馬で見習い騎手、1948年に騎手免許取得
1968年1月の地方競馬全国協会長賞
福山・・・1月7日に行われミナトタイホーが勝利 馬主は佐土井照
宇都宮・・・ユワンボシが勝利 時期を見るに福山移籍直前
高知・・・プレスが勝利も馬の詳細不明
牝馬で獲得賞金が1000万円を超えた(1039万3200円)トキノエイコウが春木から南関東に移籍
移籍前の春木での直近3走の成績は
1967年 | 11月16日 | 2000m | 64kg | 2.12.8 | 1着 | |
1967年 | 12月1日 | かつらぎ賞 | 2700m | 66kg | 3.02.0 | 1着 |
1967年 | 12月20日 | 2000m | 69kg | 2.11.9 | 2着 |
トキノエイコウの12月1日出走のレース名判明
この当時の名古屋は元南関東馬のジンライオーの天下
南関東から東海地区に遠征に出てもジンライオーに敵わない状況
転入馬紹介ページに後の春木競馬の名ジャンパーであるフジノタイガーの名があり、この時期に新潟より移籍したことが判明
4月号
上述のトキノエイコウの南関東初戦はオープン競走でキクマサの5着
5月号
春木競馬は年間30回の開催権を与えられるも、岸和田市は競輪事業にのみ注力し全く開催されない状況
南関東新人騎手
氏名 | 特記事項 |
朝野明 | |
岩切敏男 | |
大川敏明 | |
岡部正道 | 兄 盛男 |
佐藤雅道 | |
鈴木勝文 | |
鈴木幸雄 | 1968年4月24日ヤマジヨーホープで初騎乗初勝利 |
滝ケ平利美 | |
角田次男 | |
三浦孝一 | 1968年4月16日キングソネラで初勝利 |
村上直美 |
6月号
新規騎手・調教師の紹介
こちらは再免許など、八王子の騎手養成所を通さずの合格
調教師は割愛
大井 | 星富男 |
宮田政幸 | |
浦和 | 宇野木数徳 |
工藤功 | |
西野義郎 | |
川崎 | 瀬口三男 |
中田義宣 | |
福島時夫 | |
松永茂明 | |
渡辺幸夫 |
年初の新春特別を勝ったダイテンユウが福山へ移籍
その新春特別は赤間清松鞍上で2000mを2.11.6で勝利(7番人気)
2着にはマスタング、4着にユワンボシのレース
7月号
前月号で紹介されていた新規騎手・調教師の詳細情報
調教師
柏木三郎 騎手としては府中(1940/1月)→大井(1949/9月)
鈴木富士男 騎手としては園田(1951/4月)→大井(1955/9月)
野澤義雄(旧姓 白石) 騎手として大井→船橋→大井 所属厩舎の野澤調教師死去で継ぐために調教師試験を受け一発合格
大沼五郎 騎手として川崎でデビュー
新貝啓介 騎手として川崎でデビュー
広野保義 騎手として新潟(1948?)→川崎
鈴木茂樹 騎手として船橋でデビュー(1950)
山田一雄 騎手として国営→船橋(船橋では乗っていないかも)
騎手
宮田政幸 大井→高知(竹内厩舎)→大井
星富男 大井→免許更新不合格→大井
渡辺幸生 合格発表前に所属厩舎を離れ実家の宮崎に帰郷
工藤功 大井(1960年初騎乗初勝利)→廃業→川崎→廃業→浦和
宇野木数徳 浦和→体重超過で廃業(廃業時13戦1勝)→浦和 長期課程4期生
西野義郎(善郎?) 浦和(1964)→廃業→浦和
8月号
広島県馬主会のセリ結果記載
別途記事に
![](https://xn--l8jta2dp1b4j5393a0x5bowck05i.xyz/wp-content/uploads/2018/05/img074_1-160x90.jpg)
9月号
新人の大川敏明騎手、もう18勝
これだけ活躍している騎手なのに最終登録地は荒尾になっているので何かがあったのかもしれない
10月号
この当時の南関東を除くアラブレースの高額1着賞金レースの紹介
開催場 | レース名 | 出走条件 | 距離 | 1着賞金 |
---|---|---|---|---|
園田 | しらぎく賞 | 4歳牝馬 | 1800m | 180万円 |
園田銀盃 | 5歳牝馬 | 2160m | 150万円 | |
農林大臣賞典楠賞 | 4歳 | 2130m | 250万円 | |
園田大障害 | 障害 | 2800m | 150万円 | |
農林大臣賞典金盃 | 5歳以上 | 2320m | 150万円 | |
六甲盃 | 5歳以上 | 2320m | 250万円 | |
新春盃 | 5歳以上 | 2320m | 200万円 | |
新春若駒賞 | 4歳 | 1630m | 150万円 | |
フクパーク記念 | 4歳補助馬 | 1630m | 150万円 | |
兵庫大賞典 | 5歳以上 | 2320m | 250万円 | |
姫路 | 播磨特別 | 4歳以上 | 1800m | 80万円 |
青葉賞 | 4歳以上 | 1800m | 100万円 | |
姫山蘭花賞 | 4歳 | 2000m | 120万円 | |
市川特別 | 3歳補助馬 | 1600m | 80万円 | |
白鷺賞 | 4歳以上 | 2000m | 120万円 | |
白峰特別 | 4歳以上 | 1800m | 80万円 | |
春木 | 千成賞 | 障害 | 2690m | 80万円 |
四歳争覇 | 4歳 | 2000m | 120万円 | |
農林大臣賞典西日本争覇 | 2000m | 120万円 | ||
いづみ賞 | 2100m | 100万円 | ||
四歳争覇 | 4歳 | 2000m | 80万円 | |
かつらぎ賞 | 2700m | 150万円 | ||
三歳争覇 | 3歳 | 1700m | 100万円 | |
新春盃 | 2100m | 180万円 | ||
なには賞 | 2100m | 120万円 |
姫山蘭花賞は姫山菊花賞の誤植と思われる
春木の四歳争覇が2度あるのは誤植か否か不明
この当時からアラブの行く末を案じている様子
個人的にはアラ系を「ハーフブレッドのア系」と称していた点が興味深かった
競週地方競馬 S44
3月号
福山競馬の特集
当時のパドック風景があり、現在の佐賀と同じく右回りだった様子
この当時の福山の強豪馬として紹介されていたのがユワンボシ、バラセイユウ、ハヤシモリ
優秀厩務員表彰で佐藤義活氏が取り上げられる
1950年に浦和で騎手デビューの後に厩務員
4月号
北海道の林正夫騎手、1968年の成績が352戦116勝で勝率全国1位
5月号
前年度アラブの公営日本一となったキクマサが福山に転売
条件として種牡馬とすることを約束した上で、4~9月までシーズンオフで休養にあてることができ、2・3戦の後に引退することを約束されたため
南関東に残ればアラブ競走ではハンデがきつくなり、サラに編入すればC級格付けで厳しい戦いが予想されたのも福山転売を決めた要因の一つ
八王子の騎手課程を経由した新人騎手デビュー
安藤守
辻野豊
西川栄二
本間光雄
宮浦正行(叔父にオートレースの宮浦富男)
6月号
名古屋からスイセイオーが移籍
移籍前には名古屋1800mを1.55.8のレコードで勝利
移籍前のレースは新春アラブ争覇
騎手は藤ヶ崎一男
角田次男、380戦で通算100勝を達成
兄は北関東の角田光雄
7月号
新規騎手・調教師紹介
調教師
飯野真次 騎手時代は大井で
菊池千秋 騎手時代は大井で
齋藤義行 騎手時代は大井で
竹原真一
吉田實 騎手時代は大井でセイシヨウで春の鞍(東京ダービー)制覇
高橋正豪 騎手時代は東北→川崎
飯島二郎 騎手時代は川崎で(1947年)
八木弘 騎手時代は川崎で(1947年)
加藤徳明 騎手時代は川崎(1956年)→廃業→川崎(1968年)
佐々木国広 騎手時代は川崎で
長沢保作
波多野高次 騎手時代は船橋で(八王子2期生)
宮下雅身 宮下家三男
新井康夫
千吉良良秀
須永和良 騎手時代は大井で
粕谷清隆
佐々木昭 騎手時代は大井で
濱月睦生 騎手時代は船橋で
川島和美
騎手
高橋博 騎手養成を通過せずデビュー 昔から下乗りはしていた
吉川政吉 浦和→厩務員→大井
鍋山信雄
西野三郎
成瀬義照
田代巧 浦和→廃業→浦和
飯島昭 浦和→廃業→浦和 廃業前には落馬を耐えきって敢闘賞を戴く
8月号
アラクモが名古屋1700mのレコードを更新して南関東に転入
10月号
広島県馬主会のセリ結果記載
別途記事に
![](https://xn--l8jta2dp1b4j5393a0x5bowck05i.xyz/wp-content/uploads/2018/05/img074_1-160x90.jpg)
春木のサラ2000mで2.09.0のレコードを更新したフアミリースターが南関東に転入
11月号
上山からエムタンホープが転入
これはおそらく後に福山に移籍するエムローンホープのこと
上山で3勝、800mを49.7の好タイム
12月号
八王子騎手養成所に14期生が入所
南関東にゆかりのある10名のみ紹介
市澤正一
足立清秀
楠新二
田部和広
野田哲雄
石田良一
松本勉
栄勝治
飯野文明
牧野田文明
スポーツ紙1951年
姫路競馬でも障害競走が行われていたことを確認
姫路競馬で全国初の固定障害を設置し、それを記念した開催を行う
→後に全国初から関西唯一に広告が訂正されていたので、全国初でない可能性
この当時は競輪全盛期で、競馬は結果のみの記載で騎手名等は一切確認できず
スポーツ紙1962年
園田・春木について情報多数
記事は別途も簡単な概要を
園田新春賞はダインミヤビ(岩崎 53kg)が優勝
春木と園田の開催が被らなければ自由に行き来していた様子(被っていても自由だった様子だが)
園田に桑野という名の騎手が騎乗しており、金沢の桑野等元騎手の父である桑野進騎手の可能性あり(春木で騎手との情報ありのため)
浜田輝騎手を確認、フルネームでないが生年月日等から判断しても後に福山に移籍する浜田輝和騎手かと思われる
福山から春木への遠征騎手(苗字のみ)
高畦、那俄性(一人?)、上原、石井
紀三井寺で3名が落馬
3名落馬が珍しいとして記事に
その3名・・・丸山勝七、松田一男、山本一夫
スポーツ紙1961年
園田・春木について情報多数
記事は別途も簡単な概要を
春木競馬に福山からの遠征騎手(どれも苗字のみ)
那俄性(一人?)、上原、桧山(辰夫)、井野口
福山からの遠征騎手の可能性がある騎手
笠野、石本
園田競馬に福山からの遠征騎手(苗字のみ)
那俄性
摂津盃の前身であるサマーハンデー競走の出走表と結果を確認
この年に春木競馬ではウッド式発馬機を導入
春木では日刊スポーツ賞を勝ったダイモンジの騎手と馬主名が一致
ただし騎手は苗字のみなので同一人物かは不明(騎手坂口 馬主坂口和男)
スポーツ紙1958年
春木・園田・長居の情報が多数
記事は別途も簡単な概要を
![](https://xn--l8jta2dp1b4j5393a0x5bowck05i.xyz/wp-content/uploads/2018/05/dreaming-160x90.jpg)
![](https://xn--l8jta2dp1b4j5393a0x5bowck05i.xyz/wp-content/uploads/2018/05/img087_2-1-160x90.jpg)
春木競馬では80円以上の往復乗車券を提示した場合に50円を贈呈(運賃払戻サービス)
1958年の園田ではサラブレッドの競走を実施(1開催で極僅か)
その園田で走っていたサラブレッドが長居でも走っていた
新春園田銀杯を勝ったのはエルフオード
後年と条件が同じなら5歳牝馬限定戦
この新春園田銀杯は後年の同名レースではなく、後の新春賞となるレース。
第1回は翌年からで、このレースは新春賞には含まれていない。
長居と園田に福山でも走っていたオカヤマシラタエが出走(全て障害競走)
長居競馬で黒川騎手を発見
春木で騎手をしていたことを把握していたので、おそらくこの黒川騎手は後に福山で3代続く競馬一家になった黒川家の黒川都起哉氏
スポーツ紙1967年
園田の新春賞に春木からの遠征馬が1頭(ミヤトニシキ 鞍上北田)
結果は5着
勝ったのはタガミリユウホク(鞍上岩崎良蔵)
このレースにはマルマンチカラも出走(JBISではマルマンチカラで該当する馬が2頭)
この当時には自由に行き来はできなくなっていた様子
コメント