大阪競馬広告 1958年1月11日付デイリースポーツ大阪版5面より抜粋
福山のことを調べていると他所の競馬場の情報も入ってくる。
というわけで、せっかく手に入った情報なのだから世に公開することで誰かの為になってくれればと思い公開する。
これに限らず、新たな情報が入れば逐一追記していく。
お気づきの点があれば遠慮せずコメント欄やツイッターを通じてお知らせください。
情報提供もお持ちしております。
確認できている出場騎手
戸野塚 | 岡(實?) | 高橋謙 | 杉田 | 角所(潔?) |
高橋重 | 谷 | 岩崎(良蔵?) | 南次男 | 日迫 |
香田 | 佐藤貫(一?) | 永田繁(一?) | 武田広(臣?) | 木明一 |
柳 | 坪井 | 小森(康雄?) | 上田市 | 山岡 |
福地(達晃?) | 宝田 | 米玉利辰夫 | 佐々木(勝彦?) | 橋本 |
西村稔 | 伊藤徳 | 南沢 | 松本 | 高田 |
北田 | 上塩入 | 石田由 | 柘榴(喜八郎?) | 国平 |
小林 | 杉浦香 | 紺原 | 串田(定治?) | 山本栄 |
浜口政 | 山中幸(雄?) | 杉浦(秀?)夫 | 永田雄 | 溝畑 |
長尾 | 下坂 | 川島幸 | 河村昭 | 黒川(都起哉?) |
岡本 | 河内(義昭?) | 伊藤二 | 坂口 | 槌田 |
利国 | 木明勝 | 狭間 | 西門(一男?) | 山中将 |
田原 | 植田 | 伊藤享 | 阿部一 | 吉村四 |
河内信(治?) | 松藤 | 北田一 | 勝田 | 田島 |
山本義 | 井上明 | 江川 | 紺原保 | 山本学 |
松森 | 井上貞(男?) | 武田吉 | 茂崎 | 清久 |
喜多寿 | 川島(敏男?) | 芳村(勇?) | 浜田勝(三?) | 山本茂 |
白井宇 | 天野(喜一郎?) | 熊野 | 米玉利芳夫 | 後藤 |
宮下 | 藤本洋(二?) | 大石十(三?) | 小島 | 中村敕(央?) |
(〇?)はデータベースで調べて同一であろう方がいる場合に、推測として書き加えている。
施行距離
平地 | |||
---|---|---|---|
1300m | 1400m | 1800m | 2200m |
障害 | |||
1720m | 1900m | 1910m | 2200m |
障害競走の1900mは1910mの誤表記の可能性がある。
旧3歳馬のレースや大一番のレースによっては更に短い距離・長い距離ともに施行されており、判明し次第追記する。
参考記録の最多出走馬 コガネマル
昨今の地方競馬では旧来の最多出走回数を更新することが多かったが、その度に参考記録として名の挙がるのが476回の出走回数であるコガネマル。
「春木競馬の」コガネマルという枕詞が常について回っており、コガネマルは春木だけで476戦と早合点していたが、この度の調査で長居競馬にも出走していたことが判明。
おそらくは所属という概念が浸透しきる前には春木だけでなく長居や園田にも出走していた可能性が高く、地全協設立(1962年8月1日)後に所属していたのが春木競馬ということで、「春木競馬の」という枕詞を使っていたのではないか。
長居のサラブレッドは中央の実績馬の宝庫だった?
まずは以下の1958年当時のサラブレッド系オープン競走の出走表について。
1958年1月12日(日) 11レース サラオープン 2200m
結果
1着フジミツル 2着ニユーホマレ
連単4→5 8,070円
当時の格式が不明瞭ながら他のサラブレッド競走とは異なり「オープン」と表記されていることから、サラ競走の最高峰であると推測できる。
各馬の馬名をJBISで検索し1958年時に出走可能な馬齢に達している馬が存在する場合にリンクを付した。
この当時は馬名の変更が可能なので確実に同馬を指しているかは不明。
かつては天皇賞馬オーエンスが春木に出走していたように、阪神・京都と中央競馬2場に挟まれるように位置する大阪は中央からの移籍馬に恵まれていたのかもしれない。
ヒデホマレは、現在で言うG1レースを制していないが、1956年の天皇賞(秋)で2着、そして現在のG2にあたるレースはいくつか制しているという当時の主役級の活躍をしていたサラブレッド。
フジミツルもファイナルスコアを抑え日経新聞新春杯を制覇、トサナカヤマは翌1959年のダイオライト記念で2着。
ニユーホマレは1960年の福山競馬に出走しており、当時の強豪馬であるホマレイチ(中央重賞勝利有)を負かせたこともあるなど、当時の福山での最上位の格付であったことが伺える。
長居競馬のサラオープン競走は深く調べてみると思わぬ名馬の名を見かけることも珍しくなさそう。
1958年 1月11日(土) 長居競馬出走表
調査時、後に福山競馬で親子3代にわたり騎手として活躍した黒川家の初代・黒川都起哉氏と思われる名を発見したので当時の紙面を複写。
その複写したページに長居の出走表が全て乗っていたので紹介する。
1レース 抽4歳 1300m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | トヨタケ | 53 | 中村 |
2 | イサムパレード | 53 | 南次 |
3 | タマライト | 53 | 岩崎 |
4 | カネマツ | 53 | 北田 |
5 | ツキヤマ | 53 | 伊藤二 |
2レース アラ5歳 1400m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ミスインター | 54 | 福地 |
2 | ケリー | 54 | 高田 |
3 | ヒロイチ | 55 | 茂崎 |
4 | トサロツクワン | 54 | 利国 |
3レース アラ6歳 1300m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | カツホー | 54 | 植田 |
2 | ギンセイ | 56 | 永田繁 |
3 | ニシキトツプ | 57 | 串田 |
4 | ミイチケシンボル | 56 | 高橋謙 |
5 | ニユースター | 56 | 天野 |
6 | ハチヨシ | 55 | 小森 |
4レース アラ4歳 1300m
5レース アラ6歳 1400m
6レース アラ4歳 1400m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | クニコマザン | 54 | 木明勝 |
2 | トミヒカリ | 53 | 杉浦夫 |
3 | モネルメタル | 53 | 松本 |
4 | ハクリユウ | 53 | 香田 |
5 | タマイワイ | 53 | 岩崎 |
タマイワイは1960年の福山競馬に出走している。
7レース 優勝障害 1720m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | クリサカエ | 55 | 南次 |
2 | レイシン | 55 | 山中幸 |
3 | ホワイトビーム | 54 | 杉浦秀 |
4 | ロツク | 59 | 井上 |
4 | マサハタ | 56 | 柳 |
5 | ナルト | 52 | 米玉利辰 |
5 | ラウンドホツプ | 58 | 中村 |
6 | シラフジ | 55 | 山岡 |
6 | ニユーイブン | 57 | 伊藤徳 |
8レース アラ8歳以上 1400m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ハツピーキング | 66 | 紺原 |
2 | ノボリサンダー | 55 | 山本義 |
3 | トライヤー | 56 | 南次 |
4 | イワテミドリ | 55 | 武田吉 |
5 | ヨシノヒカリ | 55 | 山中幸 |
6 | ナンブ | 55 | 高橋重 |
6 | コガネマル | 55 | 岩崎 |
ハツピーキングの斤量は誤植の可能性あり
9レース 特障 1910m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | ジヨウシヨウ | 56 | 岩崎 |
2 | ナニワクモタカ | 59 | 西村稔 |
3 | フジチカラ | 52 | 山中幸 |
4 | イチアラシヤマ | 53 | 杉浦夫 |
5 | シズサト | 56 | 浜口 |
10レース アラ5歳 1400m
11レース アラ5歳6歳 1800m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | キタニホン | 56 | 北田 |
2 | コマタカ | 55 | 高橋謙 |
3 | テンナリオー | 56 | 永田繁 |
4 | カブトフジ | 57 | 喜多寿 |
5 | ダイサンタイカイ | 56 | 長尾 |
6 | ダイイチストロング | 53 | 福地 |
12レース 特サラ 1400m
枠番 | 馬名 | 斤量 | 騎手 |
---|---|---|---|
1 | サングローリー | 54 | 米玉利芳 |
2 | ヒデアカシヤ | 57 | 柘榴 |
3 | サチシモ | 53 | 高橋重 |
4 | メトロ | 53 | 宝田 |
4 | アサカブト | 56 | 小森 |
5 | グランドビクター | 55 | 国平 |
5 | アスレン | 53 | 黒川 |
6 | クロコマ | 56 | 杉田 |
6 | タイヨシ | 53 | 上塩入 |
最終レースに出場していた黒川騎手は、事前に得ていた「春木にいた」という情報と生年月日から推測するに黒川都起哉氏。
子に黒川幹生氏、孫に黒川知弘氏と親子3代ジョッキーで、胴桃袖白の勝負服も3代引き継がれ(幹生氏はデビュー当時は所属の千同武治氏のデザインを受け継ぎ、後に変更)半世紀以上も砂上を駆け抜けた。
当時の売上
同一紙面上に各公営競技の前日(1958年1月10日(金))の売上額が載っていました。
大阪競馬 | 14,489,500円 |
---|---|
姫路競馬 | 4,432,900円 |
宝池競輪 | 12,146,600円 |
明石競輪 | 10,841,000円 |
岸和田競輪 | 25,477,200円 |
尼崎競艇 | 5,828,200円 |
びわこ競艇 | 4,580,700円 |
時代はまだまだ競輪が幅を利かせていた時代。
同年中に廃止される宝池競輪も1日の売上が1000万円を超えていて当時の競輪の盛況ぶりが数字を通して如実に表れている。
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